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教員養成課程がもたらす逆機能人に話を聞くときに起こる私の悩み-調査者とは誰かに関する覚書

筆者: 妹尾麻美(立命館グローバル・イノベーション研究機構 専門研究員) 執筆: 2019年7月

 私は、よく「インタビュー調査」と呼ばれる調査手法を用いる。それは、研究関心に答えるために、協力者の方に話を聞く行為である。私の場合、大学生だったり、妊婦さんだったり、大学教員だったりするが、問いによって、いろいろな方が対象となりうる。
 このときに私がどうしても考えざるを得ないのが「私は誰なのか」という問題である。どういうことか。「見た目」がわかりやすいので、その話からしたい。
 私はすでに30歳を超えているいわゆる「アラサー」なのだが、どちらかといえば「若く」にみえる。このことはどうやら相手を困らせるらしい。わざとやっているわけではないので、大変に悩むことである。というのも、協力者の方から「学生さんですか?」と聞かれることがままあるのである。そして、これは調査にも関係してしまう。たとえば、妊婦さんに話を聞くとき、妊婦さんが私に話をするとき、私の年齢や家族構成をなんとなく判断しながら話していることがあると思われるからである。
 「見た目」だけではなく、職業もそうである。私は、現在立命館大学で専門研究員を務めている。当たり前だが、そのことは十分に説明を行う。ただ、「専門研究員」です、といっても相手が大学で研究をすることについてよく知らない場合もあるだろう。(なお、ここでたとえば大学で非常勤講師をしているなどと説明すると、おそらくまた異なる反応になると思われる。私自身は聞かれたら答えている。)実は、こうしたことは私に限らず学生であっても、教員であっても、ひいてはたとえば新聞記者のような別の職業であっても、あることなのではないかと思う。
 話を聞く-話すという行為において、「調査者」という立場以外の見た目や立場、すなわちどういう人に話しているかという前提から逃れられない。また、上記の問題は初めて会う人を念頭に記述したが、何度も会って私のことをよく知っている場合はまた別の悩みが生じるだろう。これは、語られた内容をどのように分析するのかという分析手法以前の問題である。
 協力者さんと対峙しているとき、私は、私と相手がまとう属性とそれが持つ社会規範から逃れられない。この問題については、社会調査の教科書にも書いてあることであるし、十分な解決策がみつかるような問題でもない。とにかく年齢相応にみえる服装をし(ときに失敗しているが)、立場は丁寧に説明し、相手から立場を聞かれたら誠実に答えることを基本にしているが、これが正解なのかはまだわからない。調査を積み重ねることによって、また見えてくるものも変わるかもしれない。
 こうしたことを頭にかすめながらも、私は問いに答えるため日々調査を積み重ねる。
 

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