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空間知覚研究会視空間の不思議:視覚を支える身体感覚

筆者: 村上嵩至(文学部 助手) 執筆: 2019年02月

視空間知覚研究の主題

 私たちに見える世界には,幅があり,高さがあり,奥行きがある「空間」が広がっている。このような空間が,眼球に入射された光によって網膜上に形成された像,すなわち視覚を基にして成り立っていることに異論を唱える者は少ないだろう。だが,私たちに見えている空間が網膜に投影された像に過ぎないのであれば,私たちには,写真に写し出された光景のような,もっと不完全な空間が体験されているべきである。それでは,この貧弱な網膜像から,どのようにして豊かな空間が体験されるに至るのだろうか。この問題の解明は,心理学の誕生以前から今日に至るまで,視空間を考究する者たちが共通して抱く,大きな主題である。
 
 このように述べると,ひじょうに難解で複雑な現象を問題にしているように思えるかもしれない。しかし,私たちが気づいていないだけで,日常生活の中にも,この問題に関係した現象が横たわっているだろう。以下では,筆者がこの主題に関心をもつに至ったきっかけを,簡単な思考実験として紹介したい。

思考実験

 実験1:真っ白な背景の中に1本の垂直(起立した自分の身体と並行)な棒が置かれている光景を想像されたい。自身はまったく動かずに,その棒だけが左右に傾けられたとき,私たちは「棒が動いた」という体験を得る。では次に,棒を静止させたまま自身の首を傾けて頭を左右に振ってみる。しかし,私たちには先ほどのように「棒が動いた」とは体験されない。
 
 実験2:テレビモニターに背景を白として1本の垂直な棒が表示されている光景を想像されたい。そして,テレビモニター内の棒だけが左右に傾けられた場面と,テレビモニターそれ自体が左右に傾けられた場面とを想像してほしい。テレビモニターの動きを無視してモニター内の棒だけに注目すれば,どちらの場面でも「棒が動いた」ように体験される。テレビモニターの動きの有無が知覚されて,初めて,前者では「棒が動いた」ように体験され,後者では「棒が動いた」とは体験されなくなる。

身体の動きを捉える感覚の重要性

 視覚のみによって成立する空間とは,テレビモニター内に映し出されたそれと等しい。実験2でテレビモニターの動きを無視した場合と同様に,実験1においては棒を傾けようと頭を傾けようと,それらの網膜像の変化に差異はない。一方で,実際に私たちに見えている空間とは,そのテレビモニターの動きさえも捉えた代物であるにちがいない。だからこそ私たちは,自身の頭部を傾けたときには「棒が動いた」と体験することがない。したがって,私たちの視空間は,視覚に大きく依存しながらも,その視覚を備えた身体の動きを捉える感覚を下位に据えた機構によって成り立っていると推論できる。
 
 身体の動きを捉える感覚とは何か。それは,身体の関節や筋肉の変化を検知する自己受容感覚や,体表面にかかる圧力を検知する皮膚感覚,身体にかかる重力を検知する前庭感覚である。これらの感覚器官のはたらきによって,私たちは,目を閉じていても,自分がどのような姿勢でいるかを知ることができるし,どのように身体が動いているかも知ることができる。そして,目を開けて身体を動かしたときに,ある対象の網膜像が変化しているにもかかわらず,対象が動いていないように体験されるのも,これらの感覚器官のはたらきによって,網膜上の変動が身体の動きに対応するように修正されているからであると推測される。それでは,これを前提にして,次なる問題について考えてみたい。

視空間知覚研究の今後

 もし仮に,これらの感覚器官が不調をきたす場面に遭遇したならば,普段私たちが体験している正常な視空間は維持されないと予想される。たとえば,最近では家庭用ゲーム機にも利用されるようになった仮想現実(Virtual Reality:VR)では,専用の装置がその位置や加速度,重力などを検知することによって,私たちの動きに対応して変動する光景を体験可能にしている。しかし,そこには,身体の関節や筋肉の情報,皮膚に加わる圧力の情報などは含まれていない。また別の例として,宇宙のような無重力の世界では,前庭感覚は情報を得られず,皮膚感覚や自己受容感覚がもつ,重力による負荷を感じ取る機能も役に立たなくなる。これらの場面では,私たちが普段知覚している視空間と比較して,どれほど異なる視空間が知覚されるだろうか。そして,もしそれらが異なるのであれば,普段の視空間を得るために最も有効な情報とは何だろうか。それらに対する答えを用意するためにも,視覚と諸身体感覚の相互関係を明らかにすべく,これからも研究を進めていく。

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