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法心理研究プロジェクト、GLM研究会刑務所の中の医療倫理:国際的なスタンダードからみる患者・医師・施設をめぐる諸問題

筆者: 相澤育郎(立命館グローバル・イノベーション研究機構 専門研究員) 執筆: 2018年8月

はじめに

 刑事施設に収容されている人々は、日々の生活の中で一般社会の人々と同じようにけがをしたり病気にかかったりします。そこで重要となるのが医療体制なのですが、「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」は、刑事施設において「適切な保健衛生及び医療上の措置を講ずる」と定めています。以下では、国連や世界医師会(WMA)等の国際機関が策定する規則や宣言を手掛かりに、刑事施設における適切な医療のあり方について検討したいと思います[1]。

  • [1] 出典に関しては紙幅の都合で省略している。詳しくは相澤(2017)を参照されたい。

被収容者の患者としての権利と医師の義務

 一般社会の医師は、患者の生命を尊重し、その最善の利益に尽くす義務があります。WMAは、こうした患者に対する医師の義務は、法よりも高い基準の行為を求め、非倫理的行為を強いる法に従わないことをも要求するとしています。また患者は、自己の判断に基づき、最善の利益に即した治療を受ける権利を有するとされます。
 こうした医師の義務と患者の権利の関係性は、刑事施設医療にも直接妥当すると考えられています。国連の通称マンデラルールズ(MRs)は、医師と被収容者(患者)との関係は、一般社会と「同じ倫理的および職業的基準」で運営されなければならないとします。この刑事施設医療の一般社会との同一性は、医療アクセス、医療水準、守秘義務および患者の同意などの点でとりわけ重要となります。
 被収容者の医療へのアクセスは、刑事施設においてはしばしば困難を伴います。欧州評議会(CE)は、刑事施設の被収容者は拘禁制度や法的地位に関わらず、いつでも医師へのアクセスを有さなければならないとします。欧州拷問等防止委員会(CPT)は、入所時検診、診察希望、緊急時対応ならびにフォローアップの各場面で、アクセスが保障されるべきとしています。
 また医療倫理の同一性は、医療水準の同等性をも意味します。CPTは、不適切な医療水準は直ちに「非人道的および品位を傷つける取り扱い」になるとし、外部社会と「同等の条件」であるべきとします。MRsでは、これが一般社会において利用可能なものと「同じ水準」とされ、欧州刑事施設規則では、一般医療に「統合され、かつ準拠したもの」とされています。こうした医療の同等性を確保するために、外部の一般病院との連携も強調されます。
 そして医療上の守秘義務は、一般市民に対するものと同じ程度の厳格さで保持、尊重される必要があります。CEは、封書など守秘性の高い手段による診察希望、非医療従事者による選別の禁止、個別診療の原則、診察室での非医療従事者の同席の禁止ならびに医療情報の医師による管理などを求めています。
 さらに医療行為に対する患者の同意は、刑事施設医療においても不可欠です。MRsは、健康に関する被収容者の自律性、ならびに患者-医師間のインフォームドコンセントの厳守を要求しています。この点、刑事施設で特に問題となりうるのは、被収容者によるハンガーストライキです。そこでは患者の身体に対する自己決定権(とそれに基づいた意見表明の自由)と、医師の患者に対する生命尊重の義務との間で倫理的葛藤が生じます。欧州各国の多くの法制度や国際的な医療倫理綱領は、判断能力を有する成人は、たとえその生命を救う目的であっても医療措置を拒否できるとしています。もちろんそれは「死ぬに任せる」ようなものではなく、医師による当事者の精神能力の査定、病歴の確認、秘密かつ継続的なコミュニケーション、不当な圧力の禁止、意思の確認および強制的栄養投与の禁止など詳細なプロトコルがWMAなどにより定められています。生命尊重という医師の義務と、患者の自己決定とを調和させるために、極めて慎重な考量がなされています。

医療専門職の自律性・独立性

 以上のような患者(被収容者)-医師間の問題に加え、刑事施設医療においては医師-施設(当局)間にも困難な問題が指摘されます。というのも医療専門職のケアの義務は、しばしば施設の管理や保安、ときに社会の安全への考慮と衝突することがあるからです。そのため医師等の判断は、常に施設側からの干渉や圧力の危険にさらされます。このDual Loyalty(二重忠誠)は、医師が本来の目的とは異なる組織に所属することで生じやすくなります。軍医、産業医、刑事施設の医師などがその典型とされます。
 国際Dual Loyaltyワーキンググループは、医師の死刑手続きへの関与を禁じ、国連の医療倫理原則は、尋問への医学知識の転用を医師に対して禁止しています。WMAも医師の懲罰決定手続きへの参加を禁じています。加えてWMAは、拷問等への協力を拒否したために脅迫や報復に直面している医師に対して、各国医師会と協力して保護を与えると声明しています。医師はあくまで患者の最善の利益を追求すべきであり、その専門職的自律性と職業的独立性が保障されなければならないのです。
 ところで私は、こうした自律性と独立性は、医師以外の専門職にも保障されるべきであると感じています。日本でも最近は、犯罪行為者処遇に対人援助職が関与するようになっていますが、それぞれが「司法の下請け」となることなく、自律・独立して本来の職務を全うできるよう手当てがなされるべきと考えています。

ありうる批判

 以上を要約すれば、刑事施設の中であっても医師は医師であり、患者は患者であるということでしょう。しかし施設収容という特殊な環境下では、そうした普通の医療を提供するための特別の措置(しばしば手厚い)が求められているのです。もっとも、こうした立場には、次のような批判がありうるように思います。
 第1に、上記のような基準はあまりに理想的なものであり、現実味がないという批判です。確かに求められる水準は高いのですが、現にそのような改革を実行している国があります。例えばフランスは、1994年に刑事施設の医療を司法省(法務省)から保健省(厚労省)へと移管し、一般医療へと統合しました。以降、刑事施設の中に近隣病院の診療所が設けられ、その病院の医師が直接患者を診察するようになりました。外部の大規模病院には保安病棟が併設され、そこで長期の入院患者を受け入れる体制も作られました。受刑者は刑事施設に入所すると同時に一般市民と同じ健康保険に加入し、出所後も一定期間それが維持されます。こうした刑事施設で一般医療を提供するための改革は、ノルウェー、イギリス、そして台湾などでも進められています。
 第2に、そのような「特別扱い」ともとれる制度に対しては、国民の「理解」や「賛同」が得られないという批判です。これに対しては、健康への権利は基本的人権の1つであり、世論に関わらず保障すべきという議論も成り立つのですが、そこで前提とされている国民の「理解」や「賛同」が、本当に実態を反映しているのかという点も問われるべきであると考えています。例えば私が2017年に実施したアンケート調査(n=725)によれば、刑事施設における「適切な」医療の水準について、回答者の54%が一般社会と「同じ水準」とし(「低い水準」は40%)、また受刑者の公的医療保険制度への加入の是非について、44%が「賛成」と答えました(「反対」は17%)。詳しい分析はさしあたり置くとしても、一概に改革への「理解」や「賛同」が得られないとは言えないように思われます[2]。

  • [2] 本調査の概要は、法と心理18巻1号(2018年公刊予定)第18回大会ワークショップ「改革が進まない3つの課題と人権に対する市民意識―研究と教育のアプローチの可能性について―」に掲載予定である。

むすび

 もちろん刑事施設医療の改革には、様々な現実の困難が立ちはだかっていることに疑いはありません。しかしながら、健康は誰にとっても欠くことのできない重要な利益であり、刑罰によっても奪うことができない基本的人権です。諸外国の実践も参照しつつ、正しく把握された現実と理想との間の溝を埋める作業が必要とされています。それは私が取り組むべき今後の課題であるとともに、多様な専門家や実務家との共同研究が不可欠な領域でもあります。

参考文献

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