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修復的司法と対人援助プロジェクト新旧犯罪者処遇モデル論争:医療モデルvs.公正モデルからRNRモデルvs. GLモデルまで

筆者: 相澤育郎(立命館グローバル・イノベーション研究機構 専門研究員) 執筆: 2016年11月

はじめに

 犯罪者処遇のあり方をめぐっては、かつて医療モデルと公正モデルの対立があり、現在でもRNRモデルとGLモデルとの間で論争が続いています。これらは英語圏における議論ですが、日本においてのぞましい犯罪者処遇のあり方を考える際に多くの示唆を与えてくれるものでもあります。

医療モデルvs.公正モデル

 犯罪者処遇の医療モデル(Medical model)とは、犯罪を何らかの疾患や不適応の表れであると捉え、犯罪者を病人に、処遇を治療行為とみなす考え方のことです。このモデルは1930年代以降のアメリカで強い影響力を持つようになりました。それは社会状況と無関係ではありません。当時のアメリカでの経済恐慌は犯罪が個人の罪であるというよりも、コントロールを超えた大きな力に対する反応であると人々の犯罪感を変えました。また同時期に著しい進歩を見せた精神分析理論やソーシャル・ワークは、そうした人々をまさしく治癒することを期待させるものだったのです。
 しかし、1960年代に入り医療モデルへの批判が保守派とリベラル派の双方から展開されます。これがいわゆる公正モデル(Justice model)と呼ばれる考え方です。ヴァン・デン・ハーグ(Ernest van den Haag)ら保守派は、刑罰の功利性ではなく応報や抑止の側面を強調しました。彼らは、処遇が更生や社会復帰を名目に犯罪者を甘やかしており、より厳格で正義にかなう処罰が必要であると考えたのです。他方で、アレン(Francis A. Allen)らのリベラル派は、更生理念がかえって受刑者の人権侵害という不正義をもたらしていると訴えました。例えば、ある施設では少年受刑者に消火ホースで水を浴びせる苛酷な処遇がハイドロ・セラピーとして行われていました。また医療モデルは、治癒が終わるまでは原則として施設から出さない制度(不定期刑)を採用することになりますが、これが責任を超えた自由の剥奪をもたらすことが指摘されました。かくして医療モデルは、保守派とリベラル派双方から挟撃されることになります。
 また同時期にマーティンソン(Robert Martinson)らによるいわゆる”What Works”論争は、医療モデルに致命的な打撃を与えました。彼らは1945年から1967年までに英語で公表された全ての犯罪者処遇に関する文献をレヴューし、「更生への試みはわずかな例外を除いて再犯に対して何ら有効ではない」と結論づけたのです。彼らの評価研究には、公表の当時からプログラムを成功とする基準が厳格すぎるとの批判がありました。しかし、医療モデルの前提となっていた治療効果が否定されたことは、犯罪者処遇そのものへの信頼を失わせるきっかけとなったのです。

RNRモデルvs. GLモデル

 こうした犯罪者処遇への悲観論に対し1990年代以降のエビデンス重視の政策動向の中で注目されるようになったのがアンドリューズ(Donald A. Andrews)とボンタ(James Bonta)らによるRNRモデル(Risk Need Responsivity model)です。このモデルは3つの原則に基づいています。第1に処遇の密度は再犯リスクの高い者に集中させなければならない(リスク原則)。第2に処遇は犯罪誘発要因(criminogenic needs)に限定して行われなければならない(ニーズ原則)。第3に処遇は認知行動療法を中心にその者の応答性を高めるようになされなければならない(応答性原則)、というものです。この原則に忠実であるほど再犯リスクが低下することが明らかにされています。RNRモデルは、マーティンソン以来懐疑にさらされていた犯罪者処遇の救世主として現れ、イギリスをはじめとした各国の刑事政策に影響を与えています。
 もっとも、この理論に対してはウォード(Tony Ward)らよる批判があります。それによれば、RNRモデルの関心はもっぱらリスク管理に向けられ、本人の動機付けや協力を引き出すことが難しい。さらにRNRモデルは有効であることが介入の正当性を根拠づけており、効果があるとみなされると極端な介入手段(去勢から死刑まで)を正当化してしまう恐れがある、というものです。こうしたRNRモデルへの批判のうえに、ウォードらが提唱するのがGLモデル(Good Lives model)です。このモデルは、人間は生まれながらに何らかの「よさ」(primary human goodsと呼ばれます)を追求し、犯罪行為はそれを不適切な手段で得ようとした結果である考えます。例えば、他人との親密さという「よさ」を得ようとして暴力を用いる人がいます。ゆえにGLモデルでは、直接的なリスク管理よりも本人のエンパワメントを通じた「よさ」(行為主体性、交友関係、内的平和や創造性など)の獲得が処遇の目的となります。本人にとっての「良き人生」の追求が、結果的に犯罪のない「善き人生」につながると考えるのです。

のぞましい犯罪者処遇とは何か

 日本でも近時の再犯予防への関心を背景に、犯罪者処遇に徹底したリスク管理を求めるようになりつつあります。確かにRNRモデルは処遇効果と効率的な資源配分という点で分があります。しかし、その採用が、再犯リスクを低下させるのであればどのような処遇でも認められる、あるいは、再犯リスクの低下が見込めない処遇を全て排除する、という結論に至るのであれば、処遇はあまりに危険で狭小なものとなってしまいます。この点で、より広い視野から犯罪者のよき人生を追求するGLモデルから学ぶべきところが多いのではないかと考えています。もっとも、GLモデルとRNRモデルの対立は、かつての医療モデルと公正モデルほどに根本的なものではないようにも思われます。両者はいずれも犯罪者の処遇の必要性を認めるという点では共通しているからです。実際、ウォードはGLモデルにRNRモデルを統合可能であるとしています。リスク管理とよき人生の追求が本来的に両立可能なのかどうかは、さらなる検討が必要な課題であると考えています。

参考文献

  • 相澤育郎(2015)「ソーシャル・インクルージョンと犯罪者処遇:『公正』と『効率』のモメントから」 龍谷大学矯正・保護総合センター研究年報5号:16-36頁
  • Ward T. and Maruna S., (2007), Rehabilitation: beyond the risk paradigm. London: Routledge.

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