えっせい

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あらためて「女」であることについて考えてみた

筆者: 斎藤真緒 執筆: 2010年

 久々に、心の琴線に触れる映画を友人と見た。ロドリゴ・ガルシア監督の『愛する人』(以下、内容に触れているので注意)。原題は”mother and child”。現代的にアレンジされつつも、母と娘という関係、子どもを産むことと育てること、仕事のキャリア、同性であるがゆえの共感と反目、セックスの意味、男との関係など・・・・、「女」であることをめぐる古典的ともいえるテーマがちりばめられている。 私が大好きな映画のひとつでもある『彼女を見ればわかること』も同じ監督の作品だ。男性である彼がなぜこうも複雑な女の感情というものを鋭く描き出すのだろうか。 特に今回の映画では、主人公の一人の女性が、未婚の母になることを決めた37歳の女性(ナオミ・ワッツ)であり、偶然にも私自身と年齢が同じであったこともあって、「私ならどうするだろうか」と、いろいろなことを考えさせられた。
 「アラサー」についで「アラフォー」。世の中では、年齢を意識させるワードが後を絶たない。アラフォーのための「婚活」や出産、アンチ・エイジングなどなど。ドラマでは「注文の多い女たち」と形容されている。休刊が相次ぐ雑誌業界でも、「ストーリー」「マリソル」「プレシャス」など、40代女性をターゲットにした雑誌はその勢いに衰えを感じさせない。そういえば香山リカは「諦めきれない女たち」と名付けていた。
 しかし、彼の映画に登場する女性たちは、こうした時代の最先端を“ガシガシ”と切り開いていく人たちではない。自分が目指すもの、欲するものが手に入らないという経験を目の当たりにする。そして背伸びをすることをあきらめたとき、別の「幸せ」の形が提示される。 いろいろなことを経験し、そこから痛い思いをすることもあれば、まったく対応できない自分に唖然とすることもある。そうこうしているうちに、ついつい「頭でっかち」になり、軽快な身動きがとれなくなる。メリットとリスクと比較計量しすぎで、訳が分からなくなる。決断が鈍る。かと思えば、その場の勢いで大人げないことをしでかして、自己嫌悪に陥ることもしばしば・・・。つまり、「思慮深さ」も増しているとは決して言えない。 ナオミ・ワッツも、仕事での男を凌ぐほどの有能さとは裏腹に、脆い部分がかいま見れる。こういうアンバランスさとどうつきあっていけばいいのだろうか? 結局、うだうだと、そしてあーでもないこーでもないと、言い続けながら進むしかできない気がする。改めて考えてみると、開き直る図々しさは身につけつつあるような気もする(断言できない小心さもあるのが・・・)。 当面は、こうして進むしかないのだ。


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