えっせい

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家族の物語

筆者: 団士郎 執筆: 2009年

 ここ数年、シリーズの漫画本を出し続けている。既に「家族の練習問題ー木陰の物語」(ホンブロック刊)第一巻、第二巻、第三巻が出ていて、2010年中には第四巻がでる予定だ。 家族心理臨床の仕事をずっとしてきたので、記憶に残る家族や出来事には事欠かない。ちょっと見方を変えれば、30年以上にわたって日本の家族を取材をし続けてきたようなものだ。これに私自身の営んできた「我が家」体験の35年が重なる。

 振り返ってみると、渦中では分からなかったことが、やがて見えてくることもたくさんあったりした。ホームドラマというが、本当に家族はそれぞれの物語を紡いで時を重ねている。時には世相や出来事に翻弄されながら、これからも繰り返されてゆく大河ドラマだ。そんな中から、小さな物語をひとつ。

自転車泥棒
 随分昔の話になったが、息子が誰の物だかわからないボロ自転車に乗って帰ってきたことがあった。駅前に以前からずっと放置してあったものらしい。
 たしかに町に物は溢れていた。明らかに捨ててあるとしか思えないものもある。しかし息子のものではない。尋ねると、友達と二人で乗ってきたという。
 その子の家に電話をして、二人でやったらしいことを母親に話した。折り返し電話があって、「その通りらしいが、どうしたらいいだろう?」という。「とにかくあった場所に返却させる」と話すと、うちの子も一緒にとのこと。勝手な判断で他人の物を持ってきてはいけないと二人を厳しく叱った。

 自転車にはいろんな思い出がある。
以前、買物用のママチャリを盗まれたとき、妻は激怒していた。そして買物の度に周辺のマーケットの駐輪場を見回って、とうとう見付けてきた。すごい執念だと家族みんなが驚いた。

 ずっと前に見たTVドラマに、団地に暮らす家族のこんなエピソードがあった。大型ゴミの日に出された、まだ乗れそうな子供用自転車を父親が見付ける。持ち帰って錆を落とし、油をさし、タイヤに空気を入れて乗れるように修理した。子どもは喜んでそれに乗っていた。

 ところがそれを見て、捨てた家の子どもが、「僕の自転車だ!」と言い始める。廃棄したのだから、泥棒よばわりは不当なのだが、家族は何とも言えない雰囲気になる。結局、もとの持ち主に返したのだったと思うが、すっきりしない親子の気持ちはよくわかった。

 そういえば昔、わが家でも、古自転車ではこんなことがあった。息子が新しい自転車を欲しがっていた。小さくなった子供用自転車は持っていたが、大人用に乗るにはまだ背丈が足りない。今買うと、すぐ又小さくなってしまうから、しばらく辛抱させようと思っていた。

 そんなとき、同僚から「うちの子が、もう使っていない自転車があるよ。持ってこようか?」と言われた。ありがたく戴いて持ち帰ったが、いかにもボロだった。

 そこでペンキを塗ることにした。マスキングなど、細かい作業は面倒だったので、タイヤも何もかも全体に色を塗ってしまった。全身黄色のなかなかポップな自転車になった。

 しばらくして仕事の道すがら、車窓から息子たちのグループをみつけた。みんな変速機のついたサイクリング用子供自転車にのっていた。その後を、わが息子は走っていた。

 何だか切なくて、次の日曜日に買いにゆこうかと思った。しかし、それで良いのか・・・という気持ちもあった。そして誰も乗らない黄色い自転車のことを思った。

 結論として、あれが乗れなくなったら、新しいのを買うことにした。おかしな話だが、親子で自転車が駄目になるのを待った。
 物を買い与えるより、与えないことが難しい時代になった。手に入らないこと通じて学ぶ貴重なことがあるのを、発見する機会が手に入らないという、奇妙な時代になった。
 しかし喜びも悲しみも、満足も不満も、みな子どもを育てる。そのどれもにあふれた生活こそが、人の心を鍛えるのだと思う。


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