えっせい

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点と線

筆者: 松島京 執筆: 2008年

私は昨年、京都を離れていた。職場は地方都市の端の方に位置し、少々不便なところであったため、やむなく車で通勤していた。京都にいる頃を振り返れば、徒歩・自転車・公共交通機関を駆使してあちこち関西圏を移動する生活だったので、車での通勤はとても新鮮だった。バスや電車の時間を気にせず自分の時間で移動でき、混雑した車内に居続けなくてもよいので、なかなか快適である。
ところが、しばらくしてあることに気がついた。京都にいた頃に比べて、入手する情報量が減っているのだ。家と職場を往復する毎日。毎日車窓から眺める景色は山や川や田畑など。自然が織りなす移ろいゆく季節を眺めている分には目の保養にはなって良いのだが、世の中の情報が目や耳に飛び込んでは来ない。これまでの生活スタイルでは、電車やバスで移動していれば、いろいろな世代のファッションや持ちモノ、読んでいる本・雑誌・新聞のタイトルが目に入ってきた。耳には雑多な会話が入ってくる。さらには駅の看板や車内の吊り広告、売店で売っているものからも情報が得られた。それらが、一切無い。
家と職場という点を、線でしか繋いでいない。面としての情報がなかなか得られない。家でも話をする相手はパートナーのみ。職場の規模も小さければ、教職員・学生数ともに少なく、それ自体も多様な層とは言い難い状況。職場の周辺には山と田畑しかない。「『車を使って』人や情報にアクセスする」という積極的な行動をしなければ、地域の生活情報も、世の中の事象にまつわる情報も得られないのだ。インターネットが普及し情報が以前よりも入手しやすくなったのは事実だが、それは生活に密着した「イマ・ココ」の情報ではない。当事者を取り巻く生活情報を自分で感じなければ、研究には繋がっていかない。
今春より職場を関西に変え、久しぶりの電車通勤を楽しんでいる。現在の職場から衣笠キャンパスに出るには少々時間がかかるが、かつてはしんどい時間でしかなかった移動時間も、電車の中で情報をキャッチしながら本を読む機会だと思えば、非常に有意義なものに思えてくる。研究や教育のヒントは、このような日々の何気ないところからも得ていたのだ、ということを痛感した。と同時に、都市と地方での生活の違いとそれに伴う研究活動の進め方についても、考えさせられた。


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