えっせい

えっせい(〜2010年度)一覧へ

里山暮らし

筆者: 高木和子 執筆: 2007年

 昨年3月に退職してからの楽しみの拠点にしている福井県南条郡南越前町西大道というところは,典型的な日本の里山といってよい.京都からは車で3時間たらず,JRでは北陸線の南条が最寄駅である.畿内から続く琵琶湖をめぐって木の芽峠・栃の木峠を越え,日野川が平野に注ぐところ,越前富士ともよばれる日野山のふもとに位置する.この地で生まれ,長年東京で暮らした父が,退職後の20年近くを楽しむために戻った場所である. 山懐の田畑と山林を中心とする風景を里山と呼ぶようになったのは最近のことのようだが,この風景は農業という営みが作り出したものである.父の楽しみも,小さな畑に作物を植え,成長する姿を毎日見に行ってやることであった.季節の移ろいと共に,草をとり,種をまき,小さな芽生えを間引いてやる.雑草とりや,害虫の駆除などすることは次から次にあり,忙しく暮らしていた.私も父のように畑仕事が楽しめるかどうかは,はなはだ怪しいものであるが,自然との付き合いの中から多くの楽しみを見つけてはいる.
* 春先は,庭に植え付けた花や,蒔いた種の芽生えの成長をみながら声をかけてやることから始まる.まだ幼いながら太陽をあびて輝く姿に,エネルギーを感じる.* 4月の末頃からは,ぜんまい,しおで,蕨などの山菜を求めて山を歩く.山の草はまだ茂っていない中にお目当てのわらびやぜんまいが顔を出している.目が慣れてくると,相手から呼ばれたような感覚になることがある.そして収穫した後に,一つ一つをそろえてきれいにする作業をしながら,草の持つ個性を楽しみながら一日をふりかえる時間がある.*6月末の蛍の時期は格別である.夜道を歩いているうちに蛍が肩や手に止まったのをそーっと手のひらの中に入れると,やわら かい光に魅せらる.ゆっくりとした光の点滅のリズムにのってことばにならない思いが湧いてくる. 蕨やぜんまい,花や野菜たちとの交流は,その育つ姿のなかに私なりの意味を見出しているに過ぎない自分勝手な会話である.それでも彼らとのつながりの時をみたすのに,ことばが自然にでてきてしまうのである.蛍の光の場合は,彼らの命のリズムであり,相手を呼び合う信号になっている.そのために光に誘われる思いには,彼らへの応援がふくまれ,光で応答しているようにも見える.手から離れて飛び去るときには「がんばってね」といってしまう.こうした感情は,ツバメが飛来して忙しそうに巣づくりに励む姿や,すずめなどの子育ての様子を見ているときのつぶやきや声かけにも共通している.
山の畑の収穫の時期には,もう少し質の違う姿なき相手とのコミュニケーションが経験できる.畑を荒らす,猪や猿への対応を考えなくてはならなくなるときである. 小さな山の畑には,ジャガイモ,サツマイモ,山芋など手のかからない作物を栽培するのが適している.ところが,まず山芋が猪に荒らされ,完膚なきまでに食い尽くされた.その後,サツマイモも被害にあった.最近はジャガイモまでも被害に遭うようになってきたため,イモ類はつくらず,たまねぎや大根など食料になりにくいもの,ピーマン,唐辛子類など猪が嫌がるものなどに限ることにしている.それでも山際にある畑では,猪よけに張られた電線を突破して進入する通り道にあたるらしく,好物をねらった被害はなくとも,寄り道による被害がでる.昨シーズンは,苗を植え付け,ようやくしっかりしてきたと思っていたたまねぎの畑が掘り起こされ,9割が枯れてしまった.山への道筋に足跡が沢山残されているのをみながら,「たまねぎはおいしくないんだから,いたずらしないで」と話しかける.今シーズンも,たまねぎ畑の上を歩いた形跡をみつけたが掘り起こすまでには至っていなかった.でも油断大敵,帰り道に立ち寄らずにスムーズに山に向かってくれるように,畑を囲って入りにくくし,誘導路をつくった.「こちらをお通りください」と看板をだしておこうか,などと冗談をいいながらの作業であった. ここを通る猪の姿を見たことはない.足跡と,掘り返された痕跡を手がかりに,彼らの息遣いを感じ,ことばをかける.夏には,収穫直前の枝豆を猿に食べられた.姿を見たわけではないが,豆を一つずつ剥き,さやを食べ残してある.こんな食べ方は猿しかあるまいと思う.以前にもジャガイモの茎をひっぱって抜いてから芋をたべた形跡があったことがある.猿の行動が目に浮かぶと憎らしいばかりではなくなる.野生の動物が,目の前にあるおいしい作物に手をだすのを止めることは難しい.彼らが主食としてきた木の実の稔りが十分であれば,里へくる回数は減る.今年は熊や猪の被害は少なかった.「彼らにも好奇心があろう」と思うのは農業を生業としていないものの気楽なせりふに違いない.でも,山の畑に作物を植える限り,彼らの関心のありかたを考えて行動しなくてはならないということが,私の楽しみの源になっているのである.


刊行物

立命館人間科学研究

おすすめ


facebook

メールマガジン登録

リンク

ASHS 対人援助学会

生存学研究所

アクセシビリティ方針