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わかりやすい裁判のはなし

筆者: 指宿信 執筆: 2006年

 裁判員制度が3年後に始まることはかなり知られるようになってきた。市民が裁判官と共に、刑事事件の、それもかなり重大な事件について有罪無罪と量刑の判断をするというものだ。目下、裁判所は制度を浸透させるのに懸命で、女優を使った新聞雑誌の広告など、膨大な費用をかけている。中でも、裁判を出来る限りわかりやすいものにしますという「公約」を掲げていて、市民からの「法律は難しくてわからないから」といった理由による裁判員忌避ムードを払拭するのに躍起だ。弁護士会も専門用語を平易なことばに置き換える試みを始めるなど、法曹側はかなり意欲的である。
 そうした努力が実を結んで市民が裁判員席に座ったとしよう。検察官は、公判の冒頭で事件の概要を裁判員に飲み込ませなければならない。弁護人は、検察官の主張のどこが十分に立証されていないか、反論しなければならない。裁判官は、これまで法律の世界の人間だけで了解されてきたような、犯罪成立の要件であるとか正当防衛の成立可能な範囲であるとか、様々な概念を裁判員に理解してもらえるよう説明しなければならない。
 ところが、このような仕事について法律家になる過程で学ぶことはない。新しい司法試験に「市民に理解してもらい、市民を説得するためのスキル」を扱うような科目はないし、そうした教育を中教審も大学に要求していなかったので、法科大学院でも用意をしていない。そもそもそうした内容を教授できる人材がいるのかどうかすら疑わしい。わたしの経験でも、法律の問題を、身近な人々にわかりやすく伝えるというのは苦労することが多い。専門用語というのは、どの世界でもそこに属する者が容易に情報を伝達するために発展してきたものであろうから、外の世界に説明することを前提にしていない。もし裁判員裁判で説明不足や理解不足が生じるとするなら、致命的になりかねない。制度自体の信頼性に関わるだろう。上級審での是正という手段も残されているが、「やはり専門家でなければ信用できない」といった批判が起きてくることも予想される。
 このように、「わかりやすい裁判」問題は、単に法廷でのやりとりが市民に理解可能かといった問題に止まらず、制度存続の根幹にかかわる問題なのである。アリストテレスは、『弁論術』において、人による説得、聞き手による説得、言葉による説得という三つの要素を挙げているが、これまで聞き手を意識したことのない法曹(人)が、聞き手の理解しうる言葉によって自らの主張を伝えないとならない。まさに歴史的な日が近づいているわけだが、それが制度崩壊に繋がったり、誤った裁判の原因とならないよう更に周到な準備が必要だろう。


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