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純血アイヌ、杉村京子さんの言葉

筆者: 山本昌輝 執筆: 2006年

 私は専門が臨床心理学、特に心理療法を研究していることもあって、「苦」の問題についてここ10年あまり思索・研究を続けてきている。「苦」の問題は、単に臨床心理学としてばかりでなく、人間そのものの生き様と「救い」といった、より根源的な援助の姿についての示唆に満ちている。大雑把に言って、医療や福祉が「苦」を除き「楽」に生きられるように援助するのに対して、心理療法においては「苦」を如何に生きるかといった姿勢、すなわち必ずしも「苦」を除くことを第一としないところに、その援助に対しての姿勢の違いをみることができる。事実、私のような深層心理学的な接近を試みる心理臨床家にとっては、そもそも「苦」を生きる援助の方法は持ち合わせていても、「苦」を除く援助方法を持ち合わせていない場合が大半なのである。その点、医者やケースワーカーとは大きな隔たりがある。
 「苦」を生きている患者さんとの面接から多くのことを学ぶのは当然として、それ以外の研究方法として、沖縄や北海道に赴き、現地の人を訪ねてインタビューすることをこれまでしてきた。彼らは多くの「苦」の経験を生き抜いてきた人たちである。その「苦」は個人的なものというよりも、そこに居住していた人々が味わわねばならなかったものである。沖縄が戦争での「苦」であるのに対して、北海道・アイヌの場合は民族的な差別のそれであった。今回はそのアイヌの方の印象深い言葉を取り上げたい。
 杉村京子さんはすでに故人となられている。彼女とは8年ほど前にお宅を訪問して、お話を伺った。彼女は「シャモ(和人)が憎い」とはっきりと仰った。残りわずかな純血アイヌとしての誇りがそう言わせたのは当然である。その際に、滅び行くアイヌを憂えて我々に一つの問いを投げかけた;
 「種を滅ぼすにはどうしたらいいと思うか?」
我々の誰も正解を答えることはできなかった。彼女は笑みを浮かべながら次のように答えた;
 「保護すればいいさ!」
「差別・弾圧をすれば、選りすぐりの強い種が残る。だけど、保護すれば一気に生きる力さえ失って、保護に甘んじるために、自分の文化も捨てて迎合するさ!」
当時の私には、彼女の魂の叫びとして、胸を打った。まさに保護によって今、純血種が滅ぶことを免れ得ない痛みを、彼女は激しく訴えていた。そのときの彼女の痛みを胸に、心理臨床家として、「援助とは何か?」「援助とは如何にあるべきか?」を、深く考えるようになったのは言うまでもない。少なくとも筆者の立場である心理臨床家が援助を提供する場合は、援助を受ける人が自らの血や魂を損なわれることなく、遠く未来から振り返ったときにも助けられたと彼ら自身が判断するような、援助でなくてはならない。
 私が追究する心理療法とは、まさにこの援助観によって成り立っている。


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