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法心理研究プロジェクト「「犯罪という現象」から学ぶことのできる社会のあり方を目指して―Restorative Justice(RJ)(回復的・修復的司法)とは何か」

筆者: 森久智江(法学部教授) 執筆: 2018年01月

従来の「刑罰」は何を解決してきたのか?

 社会で犯罪が起こったとき、その犯罪への対応として何を思い浮かべるでしょうか。おそらく、多くの人はまず「刑罰」とそのための「刑事裁判」を想像するのではないでしょうか。「刑罰」は、その犯罪行為を行った個人が、その行為に対してどれだけの責任を負えるのか、また、負うべきであるのかということを刑事手続によって確定して科されます。
このような従来の刑事司法手続のあり方は「Retributive Justice(応報的司法)」と呼ばれ、法律で犯罪と定められた行為に対する報いとして、国家が個人に刑罰を科すものです。これは、犯罪の責任はその犯罪行為を「やるぞ!」という意思をもって行った個人にのみ問われるべきである、という考え方に基づいています。
 事件発生から有罪判決までの一連のニュースによって、その犯罪は一件落着したかのように見えます。しかし、その犯罪をした人やその被害者にとって、またその人たちと密接な関係を有する人たちにとっても、「刑罰」が科されることで犯罪にかかる問題は解決するのでしょうか。
 たとえば、2000年代以降、日本の刑務所に高齢者や障がいのある人が多くいることが指摘されています。刑務所を出ても社会で生活を立て直すことができず、出所後6か月以内という短期間でまた犯罪を繰り返し、刑務所に戻る人々の割合が高いことが明らかになりました。彼らの多くは刑務所に入る前から社会生活が成り立っておらず、その受け入れを拒絶できない刑務所が、「治安の最後の砦」ではなく「福祉の最後の砦」として社会のセーフティーネットを代替しているのです。つまり、そもそも社会生活ができていなかった人に厳しい刑罰を繰り返し科しても、犯罪を減らすことには繋がりません。「刑罰」は、犯罪の背景にある社会問題を解決したり、新たな被害者・加害者を生まないようにしたりすることに必ずしも役立っていないのです。

社会における「現象」としての「犯罪」の見方―RJというレンズの獲得

 このような「刑罰」の現状はわれわれに何を教えてくれるのでしょうか。「刑罰」を科すことが犯罪を減らすことに資するという「刑罰信仰」は、行為の残虐さ等に傾注させ、犯罪をした人が置かれていた行為以前の状況や、背景となる社会状況に目を向けることを必要としません。犯罪をした人自身への関心は、ときに「心の闇」といった内面への関心としてもてはやされることはあります。しかし、本人の特性のみならず、その置かれている状況、文脈、他者との関わり等、多様な要素が偶然(不幸)にも絡み合った結果として、本人は犯罪という「現象」に至るのです。それは、いまだ犯罪行為を行ったことのない人が犯罪行為に至らずにいることは、決して当たり前のことではない、ということでもあります。
 そこで、犯罪という問題に社会が真に向き合うための考え方として、「Restorative Justice」という考え方が注目されました。「Restorative Justice(RJ)」とは、犯罪や紛争によって社会に生じた「害」を、修復したり回復したりするための「司法」ないし「正義」とされます。日本では、1990年代末にこの考え方が紹介されて以来「修復的司法」という訳語が一応定着していますが、RJは本来、必ずしも司法の話に限定されない考え方であるとされています。
 RJの着想は、1975年にAlbert Eglashという心理学者に端を発します。彼は、犯罪をした人に対する教育プログラムに関わる中で、彼らが本当に犯罪をしなくなるためには「刑罰」や強制的に何かを学ばせることよりも、本人が生きてきた中で犯罪行為を行う前に負った精神的なダメージの回復や、犯罪の被害者や周りの人々への賠償の方が、意味があるのではないかと考えたのです。
 1990年代になって、犯罪社会学者のハワード・ゼアが、犯罪をした人とその被害者との間で、犯罪行為やその被害について対話するためのミーティングを行うようになりました。そこでの経験は、「Changing Lenses: A New Focus for Crime and Justice」という本にまとめられました。RJという考え方に基づく実践は、裁判官・検察官・弁護人中心で行われる刑事裁判の場で、犯罪行為の責任を確定して加害者に「刑罰」を科すのではなく、その行為の加害者・被害者をはじめ、それらの人々を取り巻くコミュニティも関与して、犯罪行為そのものやその被害、また犯罪の背景や今後のことについて、法律専門家以外の人々が話し合う、という実践なのです。

「犯罪」から学ぶ社会のあり方―社会変革理念としてのRJ

 RJの考え方に基づく実践(プログラム)は、当初、「刑罰」を中心とした応報的司法へのアンチテーゼとして注目されました。しかし、RJには本来、もっと大きな意義があるのです。すなわち、コミュニティにおいて行われた、犯罪に限定されない「不正な行い(wrongdoing)」に対する建設的な応答ができる社会、それを目指すための変革理念という意義です。RJによるプロセスは、ある出来事によって影響を受けたすべての人々が学び、成長することに資する環境を創るのです。
 RJによるプロセスにおいては、以下の価値を重視します。あらゆる関与者を想定し、当事者性を固定的にとらえず(例えば、犯罪行為以前に行為者が虐待されていた等の被害者性等も扱う)、即時的解決ではなく、話すこと・共有することそのものについての応答を求め、このような場に対して「自律的」・「自主的」に臨めるような、全ての関与者への支援(エンパワメント)を必要とする、といった価値です。つまり、このプロセスでは犯罪行為者だけに変容を求めるものではなく、すべての人の成長を追求し、また、すべての人に対する敬意が払われることが前提なのです。「犯罪という現象」を契機に、当該現象の背景にある社会的課題や、今後の回復のための課題についてわれわれが学び、すべての人が「生きづらさ」を抱えることなく生きられる「よき社会(good society)」の在り方を要請する、これこそがRJの積極的利点であるといえます。
 そのため、諸外国においては、刑事司法制度においてはもちろん、一般社会においても、RJの考え方に基づくプロセスを用いて、いじめ、ハラスメント行為、虐待・DV等の問題への対応プログラムが行われており、オーストラリアにおいては、近隣司法センター(Neighbourhood Justice Centre)というRJの理念を体現する裁判所も運営されています。日本においても今後、裁判による形式的解決から、われわれ市民による実質的な問題解決に向けた議論を進めて行くべき時機が来ているのではないでしょうか。

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