えっせい

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Tere!テレ!エストニアからこんにちは

筆者: サトウタツヤ 執筆: 2008年

 2008年12月初旬、私はエストニア国タリン市にいました。エストニアはアフリカではありません(それはエチオピア!)。バルト三国で一番北の国、フィンランドの南に位置する国です。フィンランドの首都ヘルシンキからタリンまでは19kmと至近です。エストニアは大相撲の把瑠都(バルト)関や生物学者ユクスキュルの出身地でもあります。そして私の共同研究者であるヤーン・ヴァルシナー教授(アメリカ・クラーク大学)の母国でもあります。
 エストニアは北緯約60度と緯度が高いため、夏は白夜になります。冬は朝9時でも真っ暗。私の滞在中、明るいのは午前10時から午後4時くらいまででした。タリン歴史地区という世界遺産もあり、ドイツに支配されていた頃の中世の建物などを楽しむことができます。
 さて、タリン大学の目の前には「Manga」という名前の日本食レストランがあり、学生さんと一緒に食べにいってみました。食べ物はうどんやすき焼きなどいわば普通の日本食でしたが、メニューを見てみれば(写真2)そのデザインから「日本=マンガ」というイメージの結びつきを見てとることができます。
 もう一つ印象深かったのは、タリン大学の学長さんとお会いしたことです。彼は日本学研究者ということで、お弟子さんと一緒に3人でお会いしました(写真1)。会話はもちろん日本語。私をそっちのけで「正法眼蔵随聞記をエストニア語に翻訳したい」と師弟で盛り上がっていました。お弟子さんは『枕草子』の「除目(じもく)に司(つかさ)得ぬ人の家」が好きらしく、「すべりいづ」っていう表現が面白いですよね、と何度も相づちを求めてくるのには閉口しました。そのほかにもいくつか文学作品を取り上げてしゃべっていましたが正直私にはついていけませんでした。日本マニアは深い!
 最後に、何をしにエストニアまで行ったかというと、タリン大学で行われる博士号の審査会に出席するためです。博士論文の審査は、本人の報告、オポーネント(敵対者)という名の質問者による質疑応答が行われ、その後に審査委員会による審査が行われます。そのオポーネント役を指名されたので出かけていったのでした。仕事は無事終わり、新しい博士の誕生に立ち会うことができました。カトリン、おめでとう!(最後は私信)


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