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これもまた新たな<社会>への扉?

筆者: 西田心平 執筆: 2006年

はじめまして。この10月より正式に着任が決まりました。事実上は8月くらいから人間科学研究所の一プロジェクトに所属し研究活動にかかわらせてもらっていますが、自分では「研究員」としての生活なるものに駆け足で追いつかなければという感覚が未だにぬぐえない日々を送っている、というのが正直なところです。
考えてみれば、研究員に着任するまでのここ数ヶ月の体験というのは、これまでの自分の知る<社会>のものとはまたひと味違うルールやリズムに接触することでした。「へぇ、そう考えるのか!」「あのときもっと突っ込んで聞いておくんだった!」「あんな言い方をしてよかったのかな?」などと思うことの連続であったような気がします。
本学の社会学研究科で大学院生として学んでいたころ、大阪市西成区にある日雇労働者の街「釜ヶ崎」に通いつめていました(一時期下宿もしていました)。炊き出し、夜回り、病院への付き添い、そしてときに野宿生活から居宅生活への移行の際のサポートなど、そこでの暗黙のルールは自分から多くのことを語り過ぎないことであり、むしろ相手(日雇労働者や野宿生活を余儀なくされている人)の態度や言葉を慎重にじっくりと待つということでした。そのころは、こうした作業に没頭していたこともあり、そこを立ち位置にして大学や一般の<社会>のあり様を遠くから眺めているようなところがありました。
大学院での学びを終えると、大学や予備校で教える仕事が生活の中心を占めるようになりました。教壇に立つわけですから、どうしても学生にむけて語ることが多くなります。ですが、その仕事の継続そのものを支えるのは、そこでもある種の「待ち」ないしは「聴く」の姿勢でした。仕事仲間との随時・定期的な酒宴の場は、教材ネタに関しての貴重な情報交換の場ともなり、そこで漏れ聞こえてくる先達のうまいやり方をこっそりと盗むことのできる場でもありました。そのことがまた、次の日の仕事に不思議な活力を与えてもくれるのでした。
そして現在の研究員生活。日々まわりをキョロキョロと見渡しながら進んでいく中で感じることは「とにかくこの世界では言葉のやりとりが多い」ということです。研究仲間との間では口頭ですでに了解済みと思っていたことも、そうでない職員さんとの間では文書で手渡していないと何も伝わったことになっていない。分からないことを素朴に研究仲間に尋ねれば自分の欲しい答えが返ってくるなんてことは少なく、果敢に発言や提案をした上で、それに対する意見や反論をもらって初めて相手の考え方を知る。今何に関心をもっていて、次の論文の構想はどのようなものか、チャンスがあればいつでもそれをサラッと語ってのけるだけの心の準備がなければならない。つまり、「待ち」「聴く」の姿勢だけでなく常に2歩・3歩先を読んだある種の「攻め」の思考と言動が求められるのです。これはなかなかスリリングでやり甲斐のある世界だなぁと思うと同時に、気持ちの中では常に駆け足ぎみになっていて、ときに一人で足腰の疲れを感じている私です。
でもだからこそ、ここはひとつじっくりと腰をすえてこの状況に向き合ってみてもいいのかもしれない。この先どうなっていくのか定かではありませんが、これもまた新しい<社会>への扉だと思えば、その先で自分がどう変わっていくのか楽しみでもあるのです。扉を開けてみた今では、ふとそんなふうに思うようになりました。


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