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シドニー大学にて3 アボリジニ社会

筆者: 中村正 執筆: 2004年

 しかしアボリジニの置かれた社会的現実は厳しい。期せずしてシドニーでアボリジニの日常の現実を映しだす事件が起こった。後にThe Redferm Aboriginal Riotと呼ばれることになるアボリジニと警察官との暴力的な衝突事件である。2004年2月17日のことである。シドニーの中心部にあるレッドファム駅の周辺にはアボリジニが多く住むコミュニティがある。警察の過剰な介入である追跡がもとになり、バイクに乗った17歳のアボリジニ少年がスピードの出し過ぎで運転操作を誤り、激突して亡くなった。その死を契機にして、かねてよりアボリジニ社会を過剰に監視する警察への不満が爆発した。シドニー中心部で警察隊とアボリジニが対峙して、石や煉瓦や火炎瓶などを投げつけるという事件となり、収束をみるまでに、夜半にかけての長い時間を要することとなった。その間レッドファム駅は封鎖され、騒然となった模様をマスコミが伝えていた。
 この背景には、高い自殺率(アボリジニはオーストラリア社会平均の2倍の自殺率を示す。地域によっては4倍。年齢層では青年男子に多い)、収監されているアボリジニの高い比率と刑務所での死亡が多いこと、アルコールと薬物依存の多さ、平均寿命が白人にくらべて20年ほど短いこと、およそ45歳から高齢者向けのケアを受けることができることなど、あげればきりのないアボリジニの現実がある。これら精神衛生上の、社会生活上の諸問題は、明らかに先住民への暴力、差別、虐待の歴史が反映された社会病理現象である。
 その虐待の一つにアボリジニ親子分離政策があった。これはいわゆる白豪主義政策White Australian Policyの典型である。英語やキリスト教など白人社会に同化させるための教育を施す収容所にアボリジニの子どもたちが送られた。強制移住であり、有無を言わせない暴力そのものの政策であった。フリーマンの祖母はこの親子隔離政策の犠牲者の一人であった。同じく西オーストラリア州に住む犠牲者の家族の実話をもとにした「Rabbit-Proof Fence」という映画がある。「裸足の1500マイル」という邦題で観ることができる。アボリジニと白人の間に生まれた混血の少女3人が家族から引き離された。しかし母親に会いたいという思いは強く、彼女たちは収容所を脱出する。1500マイル(2400キロ)をウサギよけのフェンス沿いに歩き続けたのだ。監督はオーストラリア出身のフィリップ・ノイス。ラストには、モデルになった女性たちも登場するドキュメントタッチのいい映画だ。万感胸に迫るものがある。この白豪主義の政策は1910年から1971年まで続いていた。遠い過去のことではない。「失われた世代」stolen generationと呼ばれる親子強制隔離政策の犠牲や白人文化への融合政策、根強い人種差別など、負の歴史を傷あととしてもつオーストラリア社会にしばらく暮らしてみて、この問題の深さを実感している。オーストラリア政府はいまも過去の政策を「過ち」とは認めていない。修復できていないのだ。
 この政策も含めて、先住民と白人植民者の間の確執は大きく、先にあげたような数々の社会病理現象としてなお傷跡を残している。文化的トラウマ、トラウマの世代間連鎖などとも呼ばれることもある。自殺、殺人、非行、依存症など心理臨床の重要な対象となる問題の山積するアボリジニ社会は、トラウマの世代間連鎖をとおして、社会性を色濃く帯びた社会臨床的な和解の課題を数多く有している。アボリジニ問題は、オーストラリア社会にとっての原罪のようでもあり、多文化社会づくりの駆動力でもあり、競争と戦争ではない和解と平和のための国家のあり方を示す試金石のようでもある。


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