えっせい

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ビターとフラット

筆者: 服部雅史 執筆: 2004年

イギリスのビールはうまい.エールとかビター(正確 にはエールの下位カテゴリー)とか呼ばれるやや味が濃くて炭酸の少な目の(=フラットな)ビールを,あまり冷たくせずに飲むのがイギリス流である.イギリ スに住む前は,ぬるいビールと馬鹿にしていたが,これが結構ハマる.イギリス人は,夏でも冬でも,仕事帰りに,あるいは昼間から,パブに集まって,何も食 べずにひたすらビールを飲みながら話しまくる.
 ビールの種類は非常に多く,味も実に幅が広い.しかも安い.銘柄は2000以上あるらしい.毎日違うビールを飲んだとしても,帰国までには到底飲みきれ ない.ちょっと変わったところでは,蜂蜜やレーズン,バナナ入りから,果てはチョコレート入りまである.バナナ入りといっても醸造の段階で入れるのであっ て,「赤まむし焼酎」のような現物が入ったものを想像してはいけない.
 これだけ色々なビールがあるのは,消費者の好みが多様だからに相違ない.いくら社会制度が整っていて弱者に優しいイギリスでも,資本主義社会である以上,売れないものを安く作り続けることはできない.
 それに比べると,日本のビール事情は寂しすぎる.銘柄は結構多いが,どれもみな同じ味がする.
 あるとき,日本の航空会社の国際線の機内サービスで,ビールの銘柄を聞かれたのには驚いた.銘柄とは何かと聞くと「キリン,アサヒ,サッポロがありま す」と言う.「アサヒがいい」などと文句を言う乗客が結構いるのだろう.目に浮かぶようだ.英国航空が乗客に銘柄を聞くなんてあり得ないと思う.
均質性と多様性の不思議な交差.
 イギリスの街並みは美しい.これは,イギリスに限らず,恐らくヨーロッパや白人系英語圏に多かれ少なかれ共通することだと思う.街の中心部に限らず,住宅街もしかりである.個人の住宅であっても,街の景観を第一に考えて,形や色が統一されている.
 私の借りているフラット(日本で言う賃貸アパート,ちょっとイメージが違うが)も,きれいな街並みの中に組み込まれており,別に私自身が何をしたわけでもないが,何とはなく誇らしい気分がする.
 このような景観の美しさは,相応の個人の自由の犠牲があって初めて実現可能になる.なぜなら,自分のお金を払って買った家の外観を,自分の好きな形や色 にできないのだから.でも,このことはちょっと不思議な感じがする.他人の考え方を尊重する国民性には馴染まないように思われるからだ.外面よりも,むし ろ内装を自分の好きなようにすればよいという考え方だろうか.
 住宅に関してはむしろ,和を重んじると言われる日本の方が,個人の自由を優先する.多くの日本人にとって,家は生涯最大の買い物であるから,苦労して手 に入れた城は自分の好きなようにさせて欲しいと思うからだろうか.しかし,よく見ると,どの家も結構よく似ていたりするのは皮肉なことだ.
 まさに人間の心理の問題である.均質な中にいると違いを強調したくなり,多様な中にいると統一性に憧れるのだろうか.こんな一般化はかなり乱暴であり,歴史などの様々な要因があるだろうし,おそらく正しくはないだろう.
 しかし,われわれは違う部分には気づきやすいが,同じ部分は当たり前として最初から気にもしないことが多いのは事実だ.これは,外界を効率よく認知する ために不可欠な心のしくみである.しかし同時に,心理学が単なる「常識の確認」からなかなか脱出ができない一つの大きな原因でもある.心が心を科学するジ レンマか.
 ところで,この話は,もう一段上から考えてみることができることに気づく.すると,別のことが示唆されているような気がしてくる.外国との違いを強く感 じるのは,逆に人間というものが均質なことのあらわれなのかもしれないと.
2004年3月17日(ここウェールズでは静かなSt. Patrick’s Day)カーディフ大学にて


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