えっせい

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--これでいいですか?

筆者: 滝野功 執筆: 2004年

 書くためには、想いを自由に浮かべることが必要だが、同時に、想いを 切らないと出来ない。頭髪を切る ことと一部、ちょっと似ていている ところがありそうだ。「全く自由にどうぞ」と言われても、当然ながらスタイル にも期待されるものはあるし、内容にも扱ってはいけないこともあるはずだ。
 だから、新参者は「はい、これいいでしょうか?」とリレーNo3の 武藤さんの理髪屋のように、聞きたくなる。
 しかし、同時にエッセイなるもの本来は、自由の面白さを”試みる” ものなのだから、雑誌記事ではキワドイところまで敢えて書いたもの だけが、ちゃんと読まれるように、ホントに読んでもらいたいのなら、 「これいいでしょうか?」の問いが、形だけの問いではなくなっている のがイイのだ!
 育児支援センター園(市立保育園)ここで、スタイルをチェンジ!
 武藤さん! あらかじめきっちり注文しておいたうえでの話しですが、 全く気に入らないのなら「これでいいですか?」と聞かれても「気に入らない!」 と答えたらどうでしょう。ちなみに、私はレストランなどで、展示されているものと、実際に差し出される ものがあまりにも違う時は抗議して、展示と同じものを要求しています。 大抵はなんらかの対応をしてもらえます。時に少々交渉術が必要ですが、これも やり取りのゲームさらにはトレーニングとして楽しんでしまいましょう。 しかし....理髪では自分の目の前で変容が刻一刻と展開して行くわけなので、 一挙にアウトプットが差し出される料理とは違うので、交渉術は格段と高度でないと いけませんね。
 これはなかなか面白いゲームになりそうですが、しかし同時にゲームを超えた 学問の有り様、知識人のあり方に関る重要なテーマも少し入っているのではと私は 考えています。このことにはまたいつか書くことになるかもしれません。
 ところで、このエッセイ、内容はさておき、字数が長過ぎるかな、と思い 前回のNo5と今回のとに分けることにしました。時間が経った分、これで2回分を まとめて書いたということにしてもらい、遅くなった分を補うことにしましょう。
 しかし、こういうのも「あり」ということでは、エッセイの原義である 「試み」としては許されるでしょう。しかし、やはりここで「これでいいですか」 と尋ねないと。


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