司会 映画はいかがでしたでしょうか。2回以上ごらんになっている方はいらっしゃいますか? 1回だけでは映画はわからない。2回以上は見ていただければと思います。今日の対談者は、立命館大学文学部の望月昭先生と産業社会学部の中村正先生です。望月先生は応用行動分析学、対人援助学がご専門です。中村先生は臨床社会学、社会病理学がご専門です。映画をどのようにごらんになられたか。「親密だから見えないこと――「羅生門的現実」を生きる」というテーマは中村先生からいただきました。

望月 このシネマ講座でお話をさせていただくのは3回目ですが、今回の映画は何をしゃべるか難しいですね。2回見ておられる方が多いということですが。今回の全体のテーマは「親密だから見えないこと――「羅生門的現実」を生きる」というシリーズです。ストーリーはリストラされても、それを言いだしかねるお父さんからスタートして、言いだしかねる、今まで見えないものが見えたり、また見えなくなったり、という家族を中心にした話なんですが、「羅生門的現実を生きる」という趣旨を中村先生から。

中村 皆さんもいろんな視点で見られたと思いますが、どんなふうに見たらいいのか、おさめたらいいのか。胸騒ぎする映画を流し続けています。ハリウッドは嫌いだから流さない。なるべく日本映画にしたいなと思っています。いいのがいっぱいあるから。1年、テーマを持ってやってきていますが、この種の日本映画に限定すると、家族が多いんですが、ドキュメンタリー風だったり。今日の映画は「こんな家族あるのか」という家族ですよね。リアリティがあるところもあるので。前回、「ゆれる」という映画で、香川さんは二つの映画に出ていますが、「親密だから見えないこと」というテーマで「羅生門的現実」というのは、世界に誇れる日本の言葉です。ラショウモン・ライク・リアリティは、わりと関心を持っている人には通用する言葉です。カラオケとか、ハラキリだけではなく、文化に関する大事な言葉が世界に流通しているのは黒沢明監督の映画のおかげです。
 京都が舞台ですが、「羅生門」という映画の中で殺人事件が起こります。調べていくうちに一体何が起こったのかわからなくなる。関係者の証言をとっていくと複数の現実がそこにあって、どの視点から見るか、何を語るか、その人の立ち位置、ものの見方、考え方が反映されて、何がそこにあったのか、わからなくなってしまう。複数の現実、多元的現実、ライブな感覚で、同じ家族が生きていても、そこで持っている、それぞれの人たちから見える世界は、実に背景がたくさんあって、たまたま家族という一つ屋根の下で生活を営んでいますが、いろんな現実が、そこからあって、しかしご飯を食べたり、「ただいま」と言って帰ってきたり、「おはよう」と言って出ていったりする、ある瞬間の出会いの中で家族がある。それぞれの背景の世界がある。時間軸は変化していく。子どもの成長は大きい。瞬間、瞬間、いろんな現実が生きられている。ウソが言えないとか、言いにくいこと、恥ずかしいことが交差しあって、家族という厚みをなしたものがある。それを、垣間見せてくれる映画です。
 前回の「ゆれる」は、秘密だったり、ウソだったり、裁判劇ですから、何かが裁かれていく。「親密さ」ということでおくと、私たちに重なるものがたくさん出てきて、いろいろ考えさせてらえるかなという趣旨で置いたんですね。

望月 朱雀キャンパスですが、羅生門は朱雀通りの隅っこにあったわけで、ここでやるにふさわしい副題ですね。二度見たということについて、ちょっとこの映画、辛いんですね。胸がチクチクする。

中村 何か辛いんですか?

望月 何が辛いんだろうと思うんだけど、うちも男の子が二人いて。「こんな家庭あるか?」と言っていたけど、ハッピーな普通の家じゃないですか?

中村 普通に見えますか? こんな泥棒いませんて。

望月 泥棒が入るのは、ちょっとあれですけど。

中村 突然アメリカ軍に行きたいというのはいませんよ。ピアノが突然あんなにうまくなるなんて、ないと思うんだけど、あるリアリティがあって、パーツを見ると、そんなことはありえないんだけど、流れてみると、つながってくるものがある。

望月 「羅生門」云々で、ウソとか、話せないこととか、知らないで置くみたいな話は、お互いに皆、その上に生活していると思うんですね。

中村 何が突き刺さったの? 隠していることあるわけね。何を隠しているの?(笑)

望月 (汗) 事のあれこれはあっても、ウソのつける状況は「親密さが故」というところはあるわけで、そして、今回の映画を穿ってみると、ウソっていうものはね、ある種、家族の強さ、として存在するんじゃないかと。それが、リストラという社会的関係の中で、それさえも許さなくなっている。リストラされたといっても、まだ46歳だから転職も可能なはずなんだけど、現実は難しいような状況がある。リアルに失業してハローワークに行くと、あんなことをいわれちゃう、という日常がある。お父さんは、うまくいって転職すれば、黙ったまま、いけましたよね。ウソはいろいろ種類があって、家族の中で必要な、全部ほんとのことを言えばいいのではなく、強さとしてのウソ、それさえも許さない状況、そういう現実社会を照らしているみたいな印象ですね。

中村 なんか今、ウソついていますね(笑)。望月さんちは、大事なウソがつかれているのかもしれないなと。自己肯定したいのかなと。

望月 必死になってね。

中村   その通りだと思っています。ウソって、この映画を見て、ワイフに本当のことを言っているだろうかと反省が出でくるわけですね。「言わなかったことがあったかな」と思い出したり、皆さんも我が家を振り返りませんでした?
 私は男だから親父の視点になるんだけど、息子だったからか、息子の視点も過去、重なってきたり。「娘やワイフはこんなふうに見ているのか」と我が家の現実に重ねながら見てしまうんですが。家族だから、親密だからウソが媒介になって動いていくものがあるかなと思いましたよね。
 私は虐待家族とか社会病理っぽい家族の相談、やり直していく家族のお手伝いをしています。まさに親から見ると、しつけなんだけど、子どもから見ると虐待でしかない現実があって、やり直していくことの前提には、この家族は最終的には、もちましたよね。この家族、佐々木さんちに引っ張られて、いろんな家族が見えてきます。役所広司さんは、どんな家族だったんだろうかと。ダメをこじらしている。ダメをよくするのではなく、ダメをダメなままなまま生きていけばいいけど、ダメをこじらしていますよね。ああいう生活とか。黒須さんちが、ウソをついたままいってしまったから、最終的には再生せずに、いっちゃったりとか。あの娘、厳しかったですよね。「佐々木さんも大変ですよね」といわれたら、ギクッと考えますよね。何が大変なのかを娘は何もいわないと。喘息の親の家族も大変そうだな、と引きずられて見えてくる。周りの家族と比べて、佐々木さんちが、とてもやり直しているなと。
 ピアノのお姉さんも、あの息子はピアノを習いたかったのではなく、お姉さんに引きずられていったのではないか、すけべえ根性があったのではないか。

望月 それはちょっと、違うと思うけど。

中村 ずっと見ていた女の子に引かれたんじゃないかなと。思春期の息子として感じるんですけど。いろんな動きがあって面白いなと。やり直すという。でもお父さんもモールで出会って「違う、違う」といいながら認めないですよね。あれも可愛かったなと。ウソをつきたいけど、つけない現実もあるというか。

望月 佐々木さんちは、家族同士は裏切ってないことが大きいですよね。いっちゃうとつまんない話になるんだけど、大きなのはリストラとか、アメリカ軍に入るというのは不思議な話ではあるんだけど、最終的に危なかったのはキョンキョンのお母さんかもしれない。

中村 何が危ないの?

望月 家族そのものに対して「もう、いいや」みたいな「激発しちゃおうかな」という。男の子たちはそう思ってないよね。お母さんを軸に動いているように見えるけれども、いじらしさが男の立場なのか。佐々木家が、もったということ、この再生のきっかけは、お母さんとも見えるけど、お母さんが、ある種、あそこまで行ったから戻ってきたのかなと。

中村 あそこまでいっちゃったのがね。向こうに何も見えてないけど、彼女には見えてたんですよね。

望月 役所広司さんは、さっぱり見えないものが。

中村 役所広司は、いっちっゃったんですよね。向こうに、わかんないけど、「引っ張ってほしい」と、どこかに行きたった。現実に感動したのは食卓なんですよ。最後、うまそうに飯、食っていますね。最後の朝飯。あれが朝飯だったから、よかったなと。夕ご飯だったら終わりなんですね。これで家族団欒。喘息もちの子どもが嫌っていた家族団欒。家族の演技ですよね。うそっぽい、「そんな家族の団欒嫌だ」と言っているわけですよ。朝ご飯で。あの枯れ葉を、よくまとめましたね。よく集めたなと、スタッフが。皆、疲れて、いろいろあった一晩を終わって帰ってきて、理由も聞かずに皆、飯食います。疲れているのがわかる。朝ご飯だから、どこかにいかないといけない。夕ご飯だったら家族団欒で、気持ち悪い映画で終わるんですよ。夕ご飯だったら、ここに取り上げません。朝ご飯だったから、よかったなと。解釈しすぎですかね。

望月 最後のご飯が朝ご飯かどうかは別にして、ご飯でね。お父さん、死んじゃったんじゃないかと思って、それはあまりにひどいじゃないかと。ところが、むくむくと生き返る。それで皆、帰ってきて、何げに食っている。

中村 お母さんが、そういう意味では食卓の。

望月 あれが象徴なんだけど、確かに晩ご飯で、すき焼きじゃ困るよね。

中村 それで終わりですよ。

望月 何げに、さりげなく、簡単なご飯を皆で。

中村 おいしそうでしたよね。ご飯一人で食べてるでしょ?

望月 (「うるせえなあ」:内言)はい。

中村 お母さんの存在は大きいですよね。ジェンダーが、そこにあるだけだけど。ある役割がある。佐々木さんちのお母さんの役割、お母さんの役割といっていたから、別の人生、これからあるかもしれませんね。あれでハッピーエンドではない、この家族、危ないですからね。常に離婚の危機があったり、息子は出ていくばかりだろうし。今後、夫婦で向き合う時、どうするか。お母さんは最後、4カ月後、エスカレーターで掃除していましたよね。あれがとてもよかったな。あの人、何を掃除しているのかなと思って。今までの自分のしがらみだったり、汚れだったり。ダーティなもの、プライドだったり。一生懸命掃除して楽しそうだった。ああいうの、いいなと思って。正社員になったら、よかったけど。

望月 仕事というものに対して、過去の総務課長ではなくても、仕事のありようがね。皆、それぞれちょっと考え方を変えていくという映画ではあるんだけど。

中村 そういうと、教育映画みたいだけど。それも、よく描かれていて。落とし物ボックスに返すのがよかったと。100万円くらい入っていた。もうちょっとありましたか?ホッとする場面があって。最初、嵐から始まる。不吉な予感があって、閉めましたよね。閉めた後、もう一回開けるんです。あれが実に不思議な感覚だったんですが、最後に見てわかりました。息子がピアノを弾いている講堂に窓が開いていて、カーテンがあって、風がさわやかに入ってくる。あれが言いたかったんでしょう、監督は。読みすぎですかね。嵐で一旦、水がきたから閉めたけど、また開けたんですよ。何か嵐の予感を呼び入れたかったのか、もっと我が家をぐちゃぐちゃにしてほしかったのか。最後、きれいな曲で終わって、さわやかな風が入ってきて、直前にお父さんが一生懸命掃除している。何かを洗浄している。読みすぎですかね。

望月 すごいですね、社会病理的に。エンドロールの裏でピアノを片づける。その間、3人はどんな会話をして帰途についただろうと。そこにちょっと、なんかホッとしたというか、エンドロールで折り畳み椅子を片づけて、最後にピアノの蓋を閉める音がする。あの時に3人は一緒に帰っていくわけです。そのことがね、それで、月の光のすばらしさもあるんだけど、あの音を出すためにあったのかなと。

中村 音だけだから余計、想像してしまいまいますよね。この映画、そういうの、多いですよ。黒須さんちの娘が「佐々木さんちも大変ね」。何が大変か、言わないから想像してしまいますよね。そういう仕掛けを考えさせるところが大きいなと思って。疲れるところがありますよね。

望月 あまり親切な映画ではないんだけど、皆、全然違うところに感じているかもしれない。

中村 だからこの映画を見て「羅所門的現実」だと思うんですけど。神谷さんからもなにかご意見はありませんか。

司会 家族の強さとしてウソが存在するのではないかと。やり直しを中心に、お母さんがいる。小泉今日子のお母さんに、強さを感じはしなかったんですが。

中村 何さ、を感じました?

司会 「誰か引っ張って」と、真ん中あたりで、頼りない存在としての自分を。

中村 引っ張ってきた相手が役所広司だったからなんですよ。あんなものに引っ張られたくなかった。自分でいかんな、と思ったんじゃないですか。あんな泥棒に引っ張られたくないと。

司会 紳士的な泥棒でしたね。役所広司は黒沢清監督の映画に、ほとんど出ていらっしゃるので、志願して自分の役をつくってくれといって出ているので、ちょっとした役なのに存在感があったんですが。お二人の話で、こんな点をお聞きしたいとか。

中村 こんなふうに私は見たとか。家族の現実の仕事をしていると「事実は小説より奇なり」という言葉に換えて「家族は小説より奇なり」という言葉が妥当なほど、実にいろんな家族があるんです。それは虐待、DV、引きこもりとか、レッテルが張られるんだけど、そういうレットルでは把握できないような、レッテルを張ってしまうと終わってしまうような、貧しいものの見方になるような現実がたくさんあって、外で仕事の形で出会うから、これは虐待、DV、引きこもりとか言われる中で、そんなふうにみてしまうと、よくないなという現実がたくさんあって。そこにあるのは虐待、DVとか不登校だけではなく、形はそうだけど、そうじゃない家族の丸ごとの現実があって、家族の丸ごとの現実をどう伝えたらいいか、言葉にしにくい。映画というビジュアル的にはわかりやすいところがある。一旦、そういうレッテルを張ってしまうと「やり直し」という言葉が、ずいぶん引っ張りだしにくくなるんですね。家族が持っている修復力、回復力、柔軟さ、もっと見えないものが見えてこないと、言葉群だけでは力が見えてこない。やり直すことの、どこに焦点をあてたらいいかが見えてなくて。どんな虐待家族だって、やり直す力を持っているんですね。そういうのを発見したくて、もっと伝えないといけないと思っていますが。やり直す力、望月さんはどういうふうに?

望月 ある意味、そんなに不思議な家族じゃないという言い方をしたのは、それぞれはコミカルにオーバーな話がありますけど、気持ちの持ちよう、お互いの関係、問題が起こってしまった原因とかは極めてごく普通のことでね。回復というけど、それは具体的に何がきっかけになったかということは示されないんだけど、何げに家に帰って飯を食う。200万円を拾って中学校の入学資金にするんだと思っていたんです。

中村 200万円でしたか?

望月 たまたま下の息子が天才児だったらどうしようというラッキーな面があっても、ハタから見ると、とんでもない家族かもしれないけど、リアルなことをいったら、介護するおじいさん、おばあさんがいるわけでもないし、子どもが知的障害を持っているわけでもない。

中村 パーツは突飛なんだけど、シークエンスの流れで見るとわかりやすく、解釈しようとする力が働くので、そことフィットするので。そこは無理がないので。子どもの自立だったり、大学生の息子のことなど、よくわかるんですよ。いつも見ているから。男の子なんで、突飛なことをやりますからね。「もっとしゃべれよ」と思うんだけど、あの息子にして、父親なんですね。そんなもの、いきなり「米軍に行くからサインして」と。父親は怒りますよね。「もっとしゃべれよ」と。いきなりサインを求める、男の子らしい行動なので、わかりやすいんですけど。わかりやすさがパーツ、パーツの出来事のエピソードの突飛さを持ってはいるんだけど、シークエンスがつながっているので、そこは見やすいですよね。あんな泥棒いないんだけど、ありうるかなと。ダメをこじらせていますからね。泥棒さえ成就できない。入ることはできたんだけど、盗めないんですね。これがね。

望月 あの人のおかげでファミリーがちょっと復活するきっかけになったんですね。都合のいい話ではあるんだけど。実はご飯を一緒に食べるというのは、そこに特別な結びつきがあっての話ではなくて、そんなもので再生するというか、それが要因とはいわないんだけど、案外、そういうことであってね。逆に言えば、家族の問題とかそれについて専門的な形での治療をしよう、云々以前のことは、日常にはあるんじゃないかという。

中村 家族援助しているから、そういうふうに見てしまいがちなんですけど、家族が持っている力が、どこにあって引き出せるか、よく引き出せるか、家族が潜在化しているだけなのかもしれませんが、あるんですよ。激しく虐待、DVとか学校に行かなくなったり、いろんなエピソードがある時に限って、活性化する時もあって、今までと違うダイナミズムが働いたり、だからこそ、皆がシクナルを出したりすることがあるので、そこをどう見るか。家族療法というのは、病院はないわけで、家族の関係性の病の薬はないわけです。家族というかかわり方、関係性、親密な関係性と置いていますが、そこに対する薬はないので、自分たちで漢方薬みたいにアレンジしたり、アイディアを出したりということなんです。いろんなことがあったけど、朝ご飯食べに帰ってくるというのは、いいですよね。そういうところが、力になる。へんにお母さん役割と言ってしまうと、チンケな物語になってしまうので言いませんが。

望月 ドーナツつくるの、どういう意味があったんだろうとかね。

中村 ドーナツさえ食べてもらえないお母さんなんでしょうね。宣伝のフィルムに「僕んち、不協和音」と息子が言うんです。この映画の宣伝が始まって「ドーナツつくったけど食べてもらえないお母さん」と出てくるんです、案内に。意味かあるんでしょうね、何か。

望月 最後の朝ご飯でドーナツが出てきたら、光りますよね。

中村 朝ご飯にドーナツってへんですよ。

望月 そうかな。普通じゃん。

中村 せめてパンケーキにしてくださいとか。母親役割を強調しすぎですか?

司会 夫婦の関係、どんな夫婦なんだろうというのに私は関心を持ちましたね。専業主婦と外で働くだけのお父さんという、基本的なパターンですけど、その中で、どのようにコミュニケーションを深めようかと努力しない限り、息子が会話をしないとか。成立しない。ピアノの先生が離婚して「もともと他人だったのが、また他人に戻る」というセリフとか。家族の中心に座るのは母親というより、父親と母親、夫と妻の二人の関係が、より虚構でないと壊れてしまうのかなと思いながら見ていて、その中で、それぞれやり直したいと、心の中にあって、それを面に出せないで、ラストに向かって表現して、そのことが朝ご飯につながるというふうに見えたんですが。

中村 息子二人と親父、男たちなので話は単純に流れていく。やり直したり、失業したり、自立したりとういエピソードが出てくるので、わかりやすい話で終わるんですが。わかりにくいですか、朝御飯は。ちょっと母と娘の立場にたってというのが、どうかなと。

司会 夫婦の関係を見ながら、会話、絶対大事、言葉大事とか、この一言が大事とか。

望月 案外、奥さんは、僕が失業していても、ドーナツつくるんだよね。というところはあるよね。「今頃、ドーナツかよ」みたいな。昔のことを、ちょっと思い出したりして、口が重くなっているんですけど。ちょっと似ている。

中村 リアルなんだ。トーンが落ちましたね(笑)。聞いてはいけないことを聞いてしまったんだろうか。過去が、それぞれの家族の現実があって。

司会 ご質問とか。

中村 こんなおしゃべりに参加してもらったらいいので。家族は小説より奇なりという。

質問 ミーハーでキョンキョンのお母さんだけど、女性を忘れていない服が、いいなと思ったりしつつ見ていたんですけど。2回見ていて、長男が米軍に入るサインをお母さんに言うところや、バスに乗る前に「離婚したらいいよ、まだまだいけるよ」と息子が言ったり。私は女性だけど、子どもも旦那もいないので全部は入れないですけど、キョンキョンの両手を出して「誰か引っ張って」というところとか、役所広司と出会った中で、コミカルにペーパドライバーであることを夫は知らないけど、ご近所は知っているところとか。キョンキョンが「今までの人生が夢であったらいいのに」とか。香川さんが同じようなことをいう、言葉的には似ているけど、私の中では重みが違う。役所広司がキョンキョンに「女神だ」と言っておいて置いていくというところは、なんなんだろうと。女性性を求めるのかなと思ったりしつつ。それぞれの食卓に戻って定位置に近いものから始めていくのかなと。なんとなく始めていく強さが戻ってきている。ウソをつく関係でも強さがあるのと、壊れてしまっているウソとかあるので、そんなところを感じました。音楽発表も音楽だけが流れた後に暗い中で物音がして人の声が聞こえず、というところが印象に残りました。

中村 車がよかったですよね。ファミリーカーかスポーツカーかで悩む。スポーツカーに関心持ったのはよかったなと。ファミリーカーでなくて。

望月 二度目はプジョーCCで、そんなに高くないんです。最初はマーチカプリオレ。ヨーロッパから逆輸入したものは300万円くらい。最初は日産のディーラーに行ってファミリーカーと並んでいたでしょ。役所広司がかっぱらってきたのはランクが上のフランスのプジョー。

中村 オープンカーですね。

望月 ウィンカーでやる(輸入車の多くはウィンカーとワイパーのスイッチが逆なので乗り換えたとき良く間違える:発言者註)のは、よくあることで。細かく設定されているなと思ったけど。

中村 スポーツカーの演出性がうまいですよね。飛び立つという感じの。女性性の話とか。

望月 海の中に、もったいなくも役所広司は入れちゃうわけですけどね。

中村 いろんな演出があって面白いですね。

質問 疑問に思っているのが国境のシーンなんですが、長男と母親は、まだつながっていたように見えていたんですが、国境線を引くことで、自分と親を区切るシーンかなと。部屋だけではなく弟の分も引いていたので、どう見られているのかな。

中村 きょうだいの部屋、線が通っていましたよね。国境はつながっていましたね。

望月 全然気がつかなかった。

中村 カメラが境を意識して、お母さんが弟の部屋に入る時、写していましたから。境目は境目なんだけど、越えたんですね。ラインで明確になりましたね。息子としては、入られたら困るんですよ。親は入ってしまう。侵入してしまう。安定した親子関係だな、と思うけど、家族療法の現場にいると夫婦連合ができなくて親子連合ができちゃう。家族の境界が曖昧になる家族があって、性的虐待はその典型ですが、血がつながってなくて子連れ再婚での性的虐待は、夫婦連合と親子連合ができてなくて、成熟した父娘関係になる。形はそうだけど、実態的には男女関係で見ている。境界を、ちゃんと設定するのも別途、必要なんです。親子システムと夫婦システムのサブシステムをつくって家族のヘルシーな規範があるような関係を持つためには、境目は大事なんです。夫婦連合がないと、夫婦が子どもに侵入し始める。お父さんが「夫婦で違うことを言うのは、やめておこう」というのは正しい方針なんだけど、言い方がまずい。「ダメなものはダメだ」というと、あかんのですよね。「ウソをつくな」というルールを定めていた、ある虐待家族があって「親の前でウソをついてはいけない」というルールを定めていた。実際、出会った家族です。ウソをつくのはよくないけど、人間はウソをつくので、ウソをついてないというウソをつき始める。それはどこかで、ばれるんです。ウソの上塗りは、ばれていく。法則的に、そうです。私もそうです。わかりやすいのは不倫をしていないということは、ばれていきます。私は体験ないですけどね。不倫をしている人の調査をすると不倫日記をつくっている人がいて、妻にどこで何を言ったと一覧表にしたリストがある。自分が行動した日記がいるんです。不倫日記と呼んでいて、現実が二ついるんです。多元的現実を生きていますから「羅生門的現実」が不倫ですね。妻に何をいったかという虚構の日記がいる。不倫の相手とつきあっていた現実の日記がある。妻と過ごしたスケジュール表もいる。どこかで、ばれていくんですね。不倫した日ほど、妻に優しくなる。子どもからいうと「ウソをついていない」というウソをつかざるをえなくなって、これが自分を責めていく。処理できなくなる。問題はウソをついた時に、どう処理するかというルールを決めておかないといけない。刑法のルールを決めて合意しないといけない。そういう中で、ある家族のルールができる。それがないと、秘密になったり、ウソをつき通して、ウソの上塗りをしたりする、別の問題になっていくので、家族は実に面白い関係なんです。
 境が大事なことを、監督は無意識にしろ、置いたのかもしれない。兵士になるという、国境を越える話になったから。心理的な境は大事な要素として、家族療法家は置いているんです。大事なところだと思います。

司会 家族の中の国境については?

望月 その視点は全く考えたことかなかったですね。時々、私の息子は私を呼びつけ、単身赴任で、たまに帰ると説教されたりするんです。「態度が悪い」みたいな。全般にいろんなことがあるんだけど。親子連合、母子連合に負けてますね。

中村 勝ち負けではないんですよね。

望月 そういう安定を望んでいるというところがあるんだけど。

中村 亭主元気で留守がいいという話じゃないの?

望月 基本は、そうなんですけど、国境云々の境というのは、家族が自発的につくっていく、盛り上げていくという話なんですかね。それは、どういう契機で必要だと感じられるんだろう?

中村 それは近親相姦の禁止とか、人類学的なテーマもあるし、家族規範もあるか。100万円届けたのも大事な点で。自然に。

望月 実際にはルールが明文化されているわけではなく、行動に現れてきているでしょう。実はご飯の話は、そんな理屈じゃなくて、単にご飯を食べていることで言い尽くしているんじゃないか。余計なことを言わん方がいいのではないかと。

中村 食事の時に会話がほしいですよね。「梅干しとって」とか。黙々と食べていますよね。

望月 それが、いいんじゃないかなと思うんだよね。

中村 傷がまだ開けてないという感じがしますよね。

望月 晩ご飯みたいになっちゃうじゃないですか。すき焼きつくったりとか。

中村 一晩、皆、どこかに行っていたわけだから。トラウマは消えてないわけで。もうちょっと「海苔ちょうだい」とか「納豆ある?」とか。多少はあってもいいかなと。息子がイラクから帰ってくる。「イラクどうだった?」なんて、朝飯で会話している家族は、まずないですからね。「納豆ほしい」「醤油足りない」という会話の中に戻っていくものがある。普通の、あたりまえなんだけど、あたりまえじゃない家族からすると、大事に見える。そういうのが増えていくと、お母さんも多少、男をつくったり、「引っ張ってよ」と引っ張られたり。あの家族、これで終わるわけじゃないですからね。そんな単純にハッピーエンドが来たら面白くない。また行くんでしょうね。はっきりしているのは、男の子たちが家を出ていく。関係が変化していきますから、いいと思いましたけど。

司会 お二人とも、映画はよかったんですよね、ということでよろしいですか。いろいろ「こういう会話があった方がいいよね」といえるような余白があるということで。私は自分が直面している夫婦の関係について、なるほどと思いながら見ていて、望月先生は、ご自身の家族のことを思い出しながらごらんになっていて。中村先生は反省しながら。皆さんもご自身の生き方と対置させながら、ごらんになられたかと思いますので。

中村 いい映画だったと思います。

司会 映画を通して、いろんな視点から見ていくと新しい発見があって、映画からたくさんもらえる見方、心の豊かさを含めて、プレゼントはいっぱいあると思いますので、ぜひ映画をごらんいただけたら、うれしいと思います。

中村 この企画は考えさせてくれる映画を集めて、テーマを設定して動かしていこうと思っています。これには株式会社オリエントコーポレーションの協賛をえていまして、資金面でありがたく援助をいただいています。続けていきたいと思っています。毎回お越しいただいている方、ありがとうございます。

司会 本日はこれで終わらせていただきます。ありがとうございました。




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