FROM JAPANESE PRACTITIONER

向谷地 生良 氏(北海道医療大学)
 「べてるの家の非援助論*それは専門家と当事者の新たな連携」


 従来から、医療や福祉の専門家は、一定の価値に裏付けられた固有の知識や技術を持ち、高い問題解決能力を期待されてきた。その専門性を支える基盤が「科学」であった。そして、科学的な根拠を持った理論や知識を、専門教育の過程を通じて技術として習得した者が専門家としての役割を期待されてきた。特に医療の世界とは、一人の市民の日常を、病を抱えることを通じて、非日常へと抱え込む。時間を拘束され、家族や職場から離れ、時には身体にメスを入れる。羞恥心や不安も、救命と健康の回復という目的の前に我慢を強いられる。そして、医師も看護師も独占的な知識と技術を駆使して治療やケアに望む。

 しかし、今、「専門家とは何か」を根底から問う変化が臨床現場で起きはじめている。それは、専門性の揺らぎであり、当事者との関係性の変化である。その背景には、「慢性疾患の時代」の到来がある。病を抱えること、福祉のニーズを持つことが、特別なライフイベントではなくなり、誰にでも起こりえる日常的な風景となった。非日常的で、特別なアクシデントであれば、それに精通した専門家が重宝される。しかし、老いること、病を抱えながら暮らすことの日常化は、治療や援助を「サービス」として再定義させる契機となり、サービスの供給主体と受益者は対等な契約関係の中で、特に福祉の領域においては、多様な供給主体の参入を促進させ市場化を促した。そして、特にインターネットの普及が促進した医療と福祉の情報化は、従来、専門家が独占していた知識、方法、価値に関わる情報を、瞬時に誰でも手に入れることが出来るという状況を招いた。少なくとも、情報という点では、専門家と一般市民との間には、何の格差もなく、しかも、「ブログの時代」と言われる様に、病や障害をかかえながら暮す当事者自身の体験と知恵が、日記の形で多くの当事者や市民に共有され、ネットを通じて瞬時に、多くの市療養体験が公開され共感を呼ぶ時代となった。それは、当事者の知恵として、もう一つのセカンド・オピニオンとして、情報としての重要性を増している。

 そして、そのような構造の変化は、もう一つの側面を明らかにしつつある。それは、当事者観の変化である。専門家に対して、当事者は無知で無力な存在であることを前提そして成り立ってきた伝統的な専門家-当事者関係に、新たな潮流が生まれている。それは「非援助の援助-助けない助け方」「自助の援助-自助を助ける」という当事者を主体とした援助関係の再構築を意味する。しかし、医療や福祉の領域では、このような当事者主体の視点は、決して目新しいものではない。医学も、身体が本来持つ自然治癒力を使って健康を保ち、病気を治そうとすることが基本となっており、福祉の領域でも、当事者自身の持つ回復力を伸ばし、支えることが本来の援助であるということは、基礎の段階で学ぶ基本中の基本である。むしろ、医療や福祉が本来持っているはずの当事者の持つ力を信じ、活かす視点を何故、見失ってきたのかという事の方がテーマとしては、正しいのかもしれない。そのような変化を促す要因として考えられるのが、「科学」を根拠とすることによる専門家の立場の権威化であり、特に精神医療においては、精神障害者を社会的な規範からの逸脱者と見なし、社会からの暗黙の要請である道徳的かつ治安的な保護の受託者としての「管理者」の期待を背景とした権威化である。もちろん、いわゆる専門家も、権威化した地位に安住しているわけではない。ジレンマを抱えながらも、結果的にその権威は強化され、現場に悪循環をもたらしていく。その意味で、浦河で育てられた「非援助の援助」における専門家と当事者の関係モデルは、常にそのようなジレンマにさらされている専門家の反省の中に生まれたものである。そして、そのひとつの到達点が、「自分自身で、共に」を理念とする当事者研究というアプローチである。

 このアプローチの特徴は、精神障害をかかえながら生き抜いてきた当事者自身の経験の中にこそ、固有の生きづらさを解明し、これからの生き方を考え、判断するための大切な情報の蓄積があるという立場に立ち、専門家は、当事者とのパートナーシップを大切にしながら、当事者自身の土壌で、幻覚妄想などの主観的な世界に共に棲みながら、「研究」という視点から、新しい生き方の方法を検討していこうとするところにある。そして、その成果は目覚しいものがある。最近の当事者研究事例だが、30歳代の統合失調症をかかえる男性と「救急車の乗り方の研究」に取り組んだ。彼は中学校時代から不登校になり、両親の登校を促す働きかけを契機に家庭内暴力がはじまり、公衆電話を壊し、イライラを訴えてはトラブルを引き起こすようになる。精神科受診するも、医師の対応をめぐって気に入らないと、病院に大量の抗議のFAXを送りつけるなどの行為があった。その頃より、外出先での救急車の要請がはじまった。外出を控えると今度は、不安時に相談の電話を病院に頻繁にかけるようになり、職員もお手上げの状態になった。そのような現状に当事者自身が、行き詰まりを感じ相談がはじまった。その彼は、外出先で頻繁に救急車を呼び、15年にもわたって多い月で20回近くも救急車で搬送されという事態を繰り返してきた。研究の中で、「具合が悪くなる」時に、幻聴が"休め!休め!"としつこく命令してくることがわかった。そこで浦河の幻聴をかかえる当事者が用いている「幻聴さん対処法」を習得し、幻聴が襲ってきたら"丁重に、優しく、粘り強く"お願いすることを試みた。その結果、彼は10年以上にも及ぶ救急車の多乗から開放されたのである。

 この成果は、当事者自身と浦河の当事者の力が生み出したものである。この当事者研究という専門家と当事者の共同作業の中にこそ、長い間、精神医療が治療や援助という名の過剰な保護と管理に堕した現状を変革していく大切なヒントが隠されているような気がしている。