えっせい

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より
「金木犀の薫る頃」

筆者: 岡本 直子   執筆: 2008年 月

文学部 岡本 直子 准教授 “Lazy people, have a nice weekend!”

 金木犀の香りが教室にまで広がる金曜日の午後、講義を終えて講義棟の4階から1階に降りるためにエレベーターを使った不精者の私達5人にA先生がエレベーターの向こうから笑顔で手を振っていた。私が通っていた大学は英語圏の先生が多く、2年生からは英語で講義を受ける機会が増えるため、学生は1年生のうちは20名弱のクラスに分かれて週8コマほど集中的に英語を学ぶことになっていた。A先生は私のクラスの担当のアメリカ人だった。学ぶこと、教えることに妥協を許さない厳しさをもちながらも、学生との約束は必ず守ってくれる先生だった。だから学生も先生をとても慕っていた。

 先のA先生の言葉に”See you on Monday!” と手を振り返した私達。しかしA先生に会うことはそれっきりなかった。先生は2日後の日曜日に急性心不全で亡くなったのだ。まだ38歳だった。訃報が伝えられた月曜日の夜、キャンパス内の教会で先生のお別れ会が開かれた。「上手くなったら聴かせると約束していたから」と、同級生がバイオリンでパッヘルベルのカノンを弾いた。まだ所々にたどたどしさが残るその音色が何ともせつなく、心が締め付けられた。

 A先生の担当分を補うため、翌日から先生方が入れ替わり立ち替わり私達のクラスを教えた。どの先生方も、本来は教える上で自分のポリシーを貫くプライドの高い人達だった。しかし、この時は誰も自分達の方針を押しつけず、A先生のスタイルを尊重しながら進めようとしてくれた。そして折に触れ、A先生の思い出話を聞かせてくれた。だからなのか、取って代わられたような不快感を抱くことはなかった。

 あの時、先生方は知っていたのだろう。人間は代替不可能だということを。誰かがいなくなれば、その人の担っていた仕事は他の誰かが引き受け、それなりに仕事は回る。しかし、気持ちはそうはいかない。前に進むと同時に、失った人に思いを馳せる時間や余裕が私達には必要なのだ。その気持ちの部分を無視して現実面のみで突き進んでいけば、ひずみが生じる恐れもある。

 当時は別段気にとめなかったが、今となって、あの時の先生方の対応は大学生活で学んだ重要なことの1つになっている。金木犀の香るこの季節、必ず心によみがえる悲しく美しく温かな思い出だ。

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