えっせい

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より
「家」

筆者: 桜井 政成   執筆: 2008年 月

政策科学部 桜井准教授 元来の落ち着きのない性格が反映してか、大学生時代から何度か、引越を繰り返している。だいたい2〜3年に一度といったところか。引っ越す理由は様々である。就学・就職上の理由から始まって、立地や日照・部屋の間取りが気にいらなかったり、経済的理由による場合もある。結婚するまではひとり暮らしであったわけだが、学生寮のようなところにも住んだし、友人や恋人と一緒に住んだこともあった。何かから逃げるように引越をしたこともあれば、不安と希望に胸をときめかせて新居に足を踏み入れたこともあった。

 しかしいずれの場所も、あんまりと「自分の家」という感覚が持てずに住んでいた気がする。なぜだろう。確かに住んでいた期間はいずれの場所も、短い。しかし、それだけでもない気がする。誤解の無いように言っておくと、それぞれの住まいでの思い出は確かに、ある。部屋を思い出せば、そのころの出来事・気持ちがありありとよみがえってくる。そうではなく、自分はここに根ざすのだ・根ざしていいのだ、というような、居心地。それがあったかと言われれば、思い出してみても、自信がないのだ。

 近隣コミュニティの崩壊が叫ばれて、久しい。ご多聞に漏れず、私も地域活動にはあまり携わっていない。それが居心地の悪い原因なのだろうか?ただ、社会学者のバリーは70年代に、カナダ・トロント郊外住民の社会的ネットワーク調査の結果から、コミュニティは崩壊しておらず、むしろ「解放」されているのだ、と結論づけた。人々は近隣地域にとどまらないネットワークを形成するに至っており、むしろ、重層化しているのが現代のコミュニティなのだ。私もかなりのコミュニティに加入して、生きている。実感としても、居心地の悪さは近隣地域との関係だけに起因するものだとは思えない。

 とんちばなしで有名な一休さんこと一休宗純禅師は、師からの公案に「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と答えたことから、一休の道号を授かったという。「有ろじ(有漏路)」とは迷い(煩悩)の世界、「無ろじ(無漏路)」とは悟り(仏)の世界を指すそうだ。いずれ無に帰す短い一生、いずこに住もうが変わりなし、と私もうそぶいてみたくなる。それならそれで、人生というのは一生仮住まいのようなものかもしれない。開き直りにも似た、気持ちになる。

 しかし他方で、引越をし続ける中で、自分が住みたい理想の場所には一生住めないのかもしれないという、焦燥感にも似た気持ちも持つに至っている。追い求めるけれども、手に入れられない。だから、引越を繰り返してしまうのかもしれない。晩年、念願のふるさとでの永住に際して「是れがまあ ついの栖か 雪五尺」と詠んだ俳人、小林一茶の心中は、いかなるものであったのだろう。

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