えっせい

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より
「テレビとラジオと物語」

筆者: 荒川 歩   執筆: 2005年 月

人間科学研究所研究支援者(RA)[br]荒川 歩  テレビのない生活を始めて2年になる(ラジオはある)。毎日極めて限られた人としかことばを交わさない。そうなってしばらくして自分が何かに飢えているような気がした。最初の頃は、それがなんだかよく分からなかった。テレビやマンガを読めば幾分マシになるように思えたので、自分が「物語に飢えているんだ」と考えた。そこで、始めの頃は、仕方がないの漫画を買ってみたり、小説を読んでみたり・・・。でも、なんだか満足しない。何かが足りない。やっぱりテレビとは違うのである。

 そこで思った。

 「あれ、自分ってそんなにテレビファンだったんだっけ??」

 でも、思い返してみれば、毎週見るのが面倒だと言う理由でテレビドラマはいままで一度も見た事がない。芸能人にも興味がない。テレビのあったころはテレビをつけることも多かったが、毎週楽しみにしている番組なんてそんなになかった気がする。テレビをつけて、たいてい見るのは、そのときにやっているバラエティだったり、ニュースだったり・・・。考えてみれば、物語りとしてはどれも断片的なものばかりのはずだ。

 にもかかわらず、テレビでみると、そこには物語りがあるという感じが強烈にする。これがラジオだとこうはいかない。存在感はおぼろげになる。なんて言えばいいんだろう・・・。ラジオでは、自分のよいように解釈してしまうので、自分とは違う異質な人がいて、別の歴史や物語りがあるという感じがどうもしないのだ。

 ところが、テレビは違う。出てくる人物の表情や服装、背景の家のたたずまいや空の色など、断片的にではあるが、その人の物語りの文体を構成する、動かせぬ要素がたくさんある。そして、その多くのものが、生々しい異質さをおびただしいほど含んでいる。しかも、僕と彼らがあう事はない!!

 そういう自分とは縁のないところで生きている他人の生々しさ、そして僕には十分には理解できないその物語りに飢えていたような気がした。

 生活からテレビがなくなって、もう一つ変わったものがある。音楽の趣味である。それまでブラジル音楽とテクノとジャズの間を行ったりきたりしていた僕は、去年からアラブ歌謡とその周辺の音楽にどっぷりはまった(もちろん去年は当たり年で、Akimel Sikameyaや、Souad Massiらの個性的な作品が世に出たことも大きい)。僕が彼ら彼女らの音楽を聴くのは、アラブ音楽のウェットで強烈な文体(歌い方)が、自分とは違う歴史と文化を背負った人の佇まいというか体臭というかを確かに感じさせてくれるからかもしれない。

「そっか、だから、ワイドショーの視聴率が高くて週刊誌とかがよく売れるのか・・・」とちょっと分かった気がした。

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