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応用社会心理学の様々なかたちより
「病気との向き合い方―韓国におけるがん患者の療法についての医療人類学的な視点」

筆者: 澤野美智子(OIC総合研究機構専門研究員)   執筆: 2017年 1月

医療人類学という学問分野

 健康と病気、身体に関する現象を、フィールドワークや参与観察といった手法で研究する学問分野として、医療人類学がある。フィールドワークとは、ある事象が起こっている現場(フィールド)に赴いて調査をすることである。フィールドワークでは長い時間をかけて現地の人たちと信頼関係を築き、参与観察(現地の生活に参与しながら観察すること)を行なう。またフィールドワーカーは五感を使って、現地で感じた色や音、においや味、湿度や温度、現地の人間関係、周りの動植物などについて詳細に記録・記述したエスノグラフィー(民族誌)を作成する。この点において、インタビューだけの質的調査とは異なっている。

韓国社会におけるがん

 筆者は韓国のがん患者を研究対象としてフィールドワークを行なってきた。韓国においては1960年代以降の急速な都市化・産業化とともに人びとの生活が大きく変化してきた。同時期に医療技術も発達し、がんの早期発見が可能になった。それまではがんを体内に抱えていることを知らずに亡くなっていった人も多かったかもしれないが、今では自覚症状がなくても画像診断などでがんを見つけ出せるようになり、がんの診断を受ける人の数は増加の一途をたどっている。
 一方、治療技術に関しては、進歩してきたとはいえ、再発を防いで完治させる特効薬がまだ開発されていないがんも多い。そして、がんの発病や進行のメカニズムについても、いまだに説明しきれない部分が多く残されている。がんは人びとの生命を奪う、社会の脅威として認識され、国を挙げてがん予防キャンペーンが展開されている。

がんを治すための行為

 がんという病気は世界に共通して存在するが、「なぜ自分はこの病気に罹ったのか」という解釈の仕方や、病気への対処の仕方は、文化によって異なる。
 韓国でも大学病院におけるがん治療の技術は日本とほとんど変わらず、医師たちはバイオメディスン(近代西洋社会で生まれた、人間の身体の生物学的知識に基づいて体系づけられた医学)の観点からがんを把握し治療を行なう。韓国のがん患者たちも多くは医師の方針に従って化学療法や放射線治療などを受ける。
 しかし同時に韓国のがん患者たちは、がんが本来あるべき「正しい」ありかたからの逸脱によって生じるものと認識し、独自の民間療法を試みている。
 例えば韓国のがん患者たちは病気を治すために食生活を「改善」する。パンや菓子、ピザ、スパゲティは、小麦粉や砂糖、油を使っているという理由で徹底的に排除される。その一方で、小麦粉を水で溶いたものをたっぷりの油で半ば揚げるようにして焼いたチヂミは許容されている。韓国においてチヂミは、「伝統的な」、「韓国固有の」食べものとして認識されている。それに対して、パンや菓子、ピザ、スパゲティは、近代化によって外部からもたらされた食べものとして認識されている。これらを体に悪いものとして排除する行為は、食生活の変化に対する、人々の否定的反応と見ることもできる。
 これと表裏一体の動きとして、韓国の「伝統的」な発酵食品と認識されている、醤油、味噌、キムチががんに効くとされ、患者たちは積極的に食べている。欧米風のパンも発酵させて作った食品であるにもかかわらず、体にいいイメージを持つ「発酵食品」のカテゴリーに加えられることはない。
 このように外部からもたらされた食べものとがんを結びつける思考は、外部からもたらされた食生活の変化が、がんと同様に、「本来あるべき姿」から逸脱したものであるという認識に起因すると考えられる。そして患者たちががんを治すために、外部から入ってきた食べものを排除し、「昔ながらの」「韓国固有の」ものと認識される食べものを積極的に摂る行為は、人々の考える「本来あるべき姿」への回帰と見ることができる。がん患者たちの実践する療法には、韓国社会における人びとの生活の変化と、それに対する人々の反応が投影されている。
 これは韓国に限った話ではない。日本も含め世界各地において、様々な病気について「なぜこの病気に罹ったのか」という解釈がなされ、その病気を治そうとする行為が試みられている。私たちの身近な病気に目を向けてみると、そこにも興味深い世界が広がっているだろう。

参考文献

  • 澤野美智子「〈正答〉のない〈正しさ〉を生きる:韓国におけるがん患者の療法」、白川千尋・石森大知・久保忠行編『多配列思考の人類学』(風響社、2016年)。
  • 澤野美智子『乳がんと共に生きる女性と家族の医療人類学:韓国の「オモニ」の民族誌』(明石書店、2017年刊行予定)。

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