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大学を模擬社会空間とした自立支援のための持続的対人援助モデルの構築より
「生命倫理問題の語られ方を検討する」

筆者: 大谷いづみ (産業社会学部・教授 )   執筆: 2013年 3月

「自己決定」はどのように決定されるか

 医療であれ、教育であれ福祉であれ、対人援助領域において本人の自己決定はいまや自明のこととされています。生命倫理学におけるこの自律原則は、自己決定権という法理によって制度化が進んでいますが、他方、先般の改訂臓器移植法や、現在話題の渦中にある胃ろうや人工透析、人工呼吸器などについては、自己決定できない人への適応にコンフリクトが生じます。このコンフリクトを回避するために、自己決定能力がある内に「事前指示」をしておくこと、代わって決定できる人の代諾を認めることを、これもまた制度化する方向での議論が続いています。これは「本人の意思」がもっとも尊重されるべきであることを、逆説的に示しているともいえるのですが、さて、そもそも「自己決定」はどのようになされているのでしょうか。人はどのように自分の生(生命・生活・人生)の行く末を決定しているのでしょうか。あるいは「代諾」として身近な人の行く末を。
 人は真空の実験室で生きているわけではありませんから、自分自身に関わる重大事を決めるとして、誰かの何かの影響をうけないことはありえません。それは身近な誰かの何かの影響であることも、もっと大きな何ものかの影響であることもあるでしょう。

「生・老・病・死」はどのように語られているのか

 ところで、生殖技術、クローニング、エンハンスメント(遺伝子増進)、脳死と臓器移植、安楽死・尊厳死、選択的中絶――いまや生命倫理の問題はテレビ ニュースやドキュメンタリーだけでなく、映画やテレビドラマ、小説、漫画、演劇などの格好の主題です。それらの媒体で「生・老・病・死」はどのように描か れているでしょうか。どのように描かれてきたでしょうか。描かれ方に国や地域の違いはあるでしょうか。時代によって変化はあるでしょうか。――そしてそれ らの描かれ方は、人々が自らの、身近な人の生の決定とどのように関係しているでしょうか。「世論」として数値化される大衆の意識とどのような関係があるで しょうか。あるいは、生命倫理学の専門家集団の議論と、医療現場にある専門職の診断との関係はどうでしょうか。教室の場で語られる生命倫理問題のありよう に影響はどの程度あるでしょうか。  「生命倫理問題の表象アーカイヴズ」プロジェクトでは、このような問いを検証するために、生命倫理問題 を扱ったさまざまなメディアを蒐集しその整理にあたっています。テレビニュースなどは消えていく運命にありますし、テレビドラマやドキュメントなども、今 ではCSで再放映されたりDVD販売されることが多くなったとはいえ、まだまだごく一部に過ぎません。生命倫理問題を扱う媒体は、ほかにも映画や演劇、小 説や漫画など、さまざまに存在します。こうした文化財の教育啓蒙機能に注目すれば、これらのエンタテイメントで描かれる「いのち」のありよう、「生・老・ 病・死」の姿は、ときには新聞やテレビニュース以上に一般市民に影響力を持っているといえるかもしれません。 

参考文献 

大谷いづみ(2012)「患者および一般市民のための生命倫理教育――パッケージ化された「生と死の物語」の構造を読み解く」伴信太郎・藤野昭宏責任編集『医療倫理教育』(シリーズ生命倫理学19巻)丸善、108-128.

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