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比較ケア制度・政策研究会より
「保健医療における選択―イギリスと日本の比較検討」

筆者: 村上慎司 (立命館大学衣笠総合研究機構ポストドクトラルフェロー)/ 松田亮三 (産業社会学部教授)   執筆: 2012年 8月

 「比較ケア制度・政策研究会」は、どのように社会的にケアを組織するか、そしてそれに関わる政策はいかなるものか、について国際比較を通して検討している。ケアに関わる制度は、ケアを受ける人、ケアをする人両方に影響を与えるものであり、それらをどのようにデザインしていくかは大きな問題である。研究会では関連する学術文献の検討と、医療・福祉の制度分析を国内外のネットワークを活かしながら行っている。そうした活動の中から、以下では2012年3月28日に立命館大学で開催された研究セミナー「保健医療における選択―イギリスと日本における論争と経験」の様子をお知らせしたい。

 本セミナーは、近年租税にもとづく医療制度をもつ国(イギリス・北欧諸国等)で関心を呼んでいる、「保健医療における選択」をテーマとし、特にイギリスと日本での争点並びに両国の比較に焦点をあてたものである。イギリスでは患者による選択は国民医療制度(National Health Services、以下NHS)の枠組みで抑制されてきた。政府はNHSの枠組み内での患者による選択を拡大しようとし、今日では公的保健医療提供者(public providers)と私的保健医療提供者(private providers)との双方の間での患者の選択を拡大しようと試みている。一方、日本では特定療養費への直接アクセスを減らすための差額患者自己負担額を除いて患者による選択に関する規制はほとんど存在しない。しかしながら、医療費節約の関心が高まる中でゲートキーパー機能(gate-keeping)を有する総合医(general physicians)を制度化する考えが議論されている。以上のような問題背景のもとで三つの報告がなされた。

NHSにおける患者の選択

まずステファン・ペッカム教授(ロンドン大学公衆衛生学・熱帯医学大学院委託・保健医療制度政策研究部)は「NHSにおける患者の選択:組織と患者の観点」という論題で報告された。イギリスの保健医療では、ここ十年の間に選択という概念が重要性を増している。そんな状況の中で、ペッカム教授の報告は、責任を伴う個人によるライフスタイルの選択という観点から、患者を保健医療サービスの消費者(需要者)とみなして、患者による選択に関する論点を検討した。そして、このような患者による選択に対応する組織の観点から保健医療提供者に関する問題も議論された。

 一方で、分権化の中でイギリス(連合王国)内でも、各国/カントリー(countries)で「選択」の取り扱いが異なる点も報告された。例えば、イングランドのNHSは、消費者による選択、特に「保健医療提供者の選択」政策を採用する点でスコットランド、北アイルランド、ウェールズから区別される。つまり、イングランドでは需要サイド、消費者主義、市場というインセンティブを通じた選択を強調するのに対して、残りの三つの国/カントリーでは保健医療市場の一部としての選択とそれに関する選択の導入は、政策としては実施されない。ところが、このような政策の多様性があったとしても、一般医(GP)からの病院への紹介等の実態をみると、実際に患者による選択がどの程度なされているかについては、大きな差がないという実態が報告された。ペッカム教授の報告に対して、フロアーからはイギリスの教育制度における選択制の導入との比較に関する論点が提起された。そして、両者における評価システムの重要性が議論された。

基礎的医療(プライマリ・ケア)における選択-日本での議論 

次に松田亮三教授(立命館大学人間科学研究所)は「日本における基礎的医療の選択:抑制か誘発か?」という論題で報告された。イギリスを含む幾つかの国々では選択の拡大が議論・実施されてきたが、日本ではむしろ基礎医療(プライマリ・ケア)における選択の規制・制限が検討されていることから、報告では日本の医療保険制度における基礎医療の位置を分析し、そこでの選択とそれに付随する競争のあり方を分析して論じた。そして、ゲートキーパー機能を備えた「総合医」を設立する議論が、高齢化、緊縮財政、地域での連携推進という論拠によってなされているが、今後患者選択の規制をゆるやかに行うか強制力のあるものにするかは、医師・患者・政府という三つのアクター間での力学が関与するという視点が示された。松田教授の報告に対して、理論上は日本においても総合医の導入はありえるが、実際問題を考えると困難であり、ゲート・キーピング機能をもたない家庭医療に関わる何らかの専門医資格を導入する方策がとられるのではないか、という議論がなされた。

保健医療における選択と質の評価-イギリスと日本の比較 

最後に近藤克則教授(日本福祉大学健康社会研究センター)は「保健医療における選択と質の評価:イギリスと日本の比較」という論題で報告された。近藤教授の報告は、これまでの二つの報告を総括・比較するものとして位置づけられる。まずは、イギリスの保健医療制度の特徴を競争の乏しさ、日本のそれをフリーアクセスによる競争的環境として特徴づけて、両国が直面している危機を論じた。とりわけ、保健医療に関する業績(performance)評価がなされながら選択が実質的には乏しいイギリスと,選択は存在するがそれに資する情報(評価)がなされていない日本という対比ができる。ペッカム教授の報告でも言及されたマネジメントの視点や限られた資源と不完全な情報のもとでも評価と説明責任(accountability)を果たす必要性は両国のいずれにおいても高まっている。近藤教授の報告に対して、評価の数値目標(target)となるアウトカム(outcome)とは、どのようなものであるべきか、という論点が示された。

 租税にもとづくイギリスと社会保険にもとづく日本の医療制度の仕組の違いは大きいが、アクセスの確保、質の向上、効率、衡平という医療制度の大きな目標には大きな差はないと考えられる。本セミナーで議論された「患者の選択」および医療供給における市場機構の位置付けについては、両国で今後どのような展開があるか、また「選択」をめぐる違いがどうなるかについては、上記の医療制度の目標のすべてに関わる問題として、今後の動向に興味がもたれる。一方で、三つの報告を通底するものでもあるが、マネジメント・財政の単位をどのように設定するのかという地方分権も含めた幅広い争点もある。以上のように、この研究セミナーはイギリスと日本における保健医療提供制度と患者による選択の政策を論じる上で不可欠な諸論点が議論された非常に有意義な機会となった。

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