エッセイ
移民の街トロント
「あなたはカナダの社会、経済の発展に貢献できますか?」この基準を満たせば、あなたもカナダ人になれる。これがカナダの移民に関する基本的考え方である。
カナダ最大の都市、トロントの人口の約半分は、国外生まれである。これは日本人からすれば信じられない数だろう。事実、昔からの定住者を先祖に持つヨーロッパ系の人たちでさえ、「数字ではそうなっているけど、なんだか信じられないね」と漏らす。しかし事実、トロントは年間数万人におよぶ移民を受け入れ続けているのである。
そしてその移民の民族構成の多様さにも、驚くべきものがある。トロント市内で話されている日常の言語は、80にも及ぶ。確かに、道を歩いていても、日本語を含めて多様な言語が聞こえてくる。
左から、シンガポール人のポスドク研究員、純粋日本人の私、日系3世(クオーター)の博士課程院生。 トロント郊外のDistillery Districtにて。 |
むしろカナダは移民に関しては厳しい国だ。ただしそれは、「入ってきた移民に対して厳しい」という意味ではなく、入ってくる際の審査が厳しい、ということである。高学歴、高いスキルが求められる。冒頭で紹介した基準を満たす必要があるのだ。
頭では分かっていたものの、日本人的思考(「移民の受け入れは、アジアの貧しい人たちを助けることになる」)からなかなか抜け出せなかったためか、この考え方にははっとさせられた。確かに知り合いとなった移民の人たちをみていると、学位をもっていたり、医者・看護婦であったり、専門的知識を持ったエンジニアであったりすることが多い。
日本の高齢者率はすでに世界で類をみないものになっており、しかも政府の財政赤字も先進国では過去にないレベルに達しているため、経済成長と社会保障制度の維持のためには移民を考えざるを得ない段階にまできている、といわれる。しかし日本は、カナダのように高い能力を持った移民を惹きつける魅力をすでに失っているようにも思える。すでに一人あたりの国民所得はカナダよりも、そしてシンガポールよりもずいぶん下になってしまった。為替レート換算で所得が低くなるのは、一部には輸出国としての宿命でもあるが、それにしても日本はすでに「普通の国」なのだ。
カナダは紅葉で有名だが、こちらでは京都よりも半月ほど早く見頃がやってくる。ヨーロッパ風の大学の建物に巻き付いた蔦が赤みを帯びている様をみていると、なかなか様になっているなあ、と思う。
トロント大学ビクトリアカレッジ、Burwash Hall。 |
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