エッセイ

1 動く《場》に立ち臨むと、動かなかった反米思想は・・・

 アメリカについては、他の国や社会に比べて、よく知っていると思っていた。確かに、アメリカは、日本人が影響を受けた欧米諸国のなかでも、特別な地位を占めており、日本は、明治以前からありとあらゆる面で、この国から圧倒的な影響を受けてきている。アメリカのものとコトは放っておいても、日本に、自分のなかに入ってきており、多くの日本人のように私もアメリカのことはよく知っていると思い込んでいたというわけだ。一方それだからこそ、自分の内に勝手に侵入してくるアメリカとは距離をもちたいという気持ちもあった。
 この感情には、若かりし頃はフランスに出かけ、フランス文化になじんできたことも大きい。学生時代には、ベトナム戦争反対運動の大きなうねりのなかで大学時代を過ごし、アメリカとはかなり違ったものの見方、考え方そして特に生き方に関わったことなどなどがあって、この年までアメリカ合衆国の地をふんだことは一度もなかった。アメリカを知りたくないというのではなく、かっこよく言えば、<むしろ十分既に知っていて、そのあり方・生き方には加担したくない>ということを意味していたからである。青春時代に影響を受けたサルトルが、アメリカに行かないということを公言し、それを自負していたことを思い出す。
 しかし、昨年1年間のサバティカル=研究休暇がもらえると正式にわかった時、「研究先は、アメリカ」と躊躇なく決めた。それ以前から、自分が本当に老いてしまう前に、無視できないアメリカ合衆国、批判と警戒の対象であったこの巨大な「敵」アメリカを、とにかく見てやりたいといった気持ちが強くあったからだ。
 といったこともあって、出発前には、この旅行と滞在にはそれほど大きな期待もしていなかった。少なくともいそいそと出かける気もしなかった。ところが、実際に現地に着いて、生活を始めると、事態は急速にかわって行く。体験しないとわからないことは実際多く、それは圧倒的な迫力をもって自分に迫ってきた。たった1年なのに、いやそれどころか、行って数ヶ月も経たないのに、この変容・変身はなんなのだ?転向なのか? 我ながら、現場に行くということの恐ろしいまでのパワーを改めて実感せざるをえない。
自分の中のこの大きな変化には、他にももちろん多くのことが関係している。行った先が、アメリカでも最もリベラルで世界に開かれているサンフランシスコであったことや、研究調査に選んだ先が、特別の教育機関、CIIS*であったことなどだが、しかし、その最大の要因は、オバマ政権の誕生に立ち会ったということに違いない。ブッシュからオバマに転換するその歴史的転換期にその現場に臨んで、アメリカの最悪の部分と、それから変化しようとする最良の部分を同時に見ることができたという気がしたのである。
* CIIS:Calfornia Institute of Integral Studies 西と東の統合を理念として40年前にインド人によって創設された大学院中心の教育・研究機関で、現在ではさらに多様な多文化共生の最先端を担うコミュニティを目指しているが、同時に心理系の専門職養成に比重が移っている。

 実際、この時にアメリカを体験したということは、それ自体で非常に大きな意義があると思える。なにごともそれが変化・転換する時、あるいは何かが新しく創られつつある時に、そこに正に立ち会うということは、確かにエキサイティングがことだ。また、そこに自分の望みを託すような転換の時であり場面であれば、それは大きな特権的な喜びとなる。実際のアメリカ市民でないから、彼らと同じような直接的関わりはできなかったが、しかし、アメリカ市民でなくともまるで市民と同じように扱われ、自分が望めば、ほとんどアメリカ人と同じように関わることできたし、個人が自発的に動くことこそが期待されているのが、あらゆるところで実感できた。
 安易で急速な変化を望む運動のなかにも、アメリカ民主主義の見せかけの側面を指摘することもできるかもしれないが、少なくとも CHANGE を掲げて、アメリカ人自身がまさかと思っていたところまで到達した原動力には、この建国の原点とも言得る「草の根」直接民主主義と言えるものが、土台としてあったのは疑い得ないだろう。そこで最も重要なことは個人の自発的なイニシャティヴである。
 私は滞在期間中外からの観察者として、政治に関わらず、直接の研究対象の臨床心理・心理的援助の方法・教育=研修システムなどに関しても、結構な距離を置いて、批判的目を持ちながら、どの場面でも、結構言いたいことを言って来た。自分の英語力の限界を感じ、歯がゆい思いもしたが、しかし、訴えれば人はちゃんと聞いてくれ、それなりの応答があるというのが率直な印象だ。自らイニシャティヴをとれば、それなりの展開はするのである。
 例えば、こんなことがあった。私が参加している「即興パフォーマンスの訓練」を主とするクラスで、自分か自分の属しているグループの嘆きを、モノローグでやるという課題が出されたことがあった。想像でもいいというので、自分も終りころに、被爆者の悲しみの独白をした。アメリカにいる間に、機会があれば、いつかヒロシマ・ナガサキのことは訴えたいと考えていたので、急にそのアイディアがでてきたのだ。「私たちは、核兵器の初めての犠牲者。ヒロシマは遠い過去の話として忘れられようとしている。しかし、今も毎年何千人の被爆者が亡くなっている。何も言えずに、無残・無念に・・・体のわずかな不調でも絶えずおびえ、不安におののくだけでなく、差別や偏見にもじっと耐えながら・・・ 戦争を始めたから当然の報いだと言われるのを恐れて、何も言えなくて・・・」とたどたどしかったが、嘆きを体ごと表現するモノローグを終えた時は、自分でもかなり感情的になっているのが、わかった。シェアリングではこれについては何も出ないが、クラスが終わると、何人かの仲間が駆けつけてくれ、「今も犠牲者が苦しんでいるなどと、知らなかった」と言いながら私を次々にハグしてくれる。
 他の仲間の 嘆きとあまりにも違うし、そもそもこんな深刻な話を突然できるかと、大いに迷ったが・・・やってよかったと思った瞬間であった。
 日本人のグループのなかでは、全体の動きを感じ取り、流れうまく沿うことこそがいつも最大の課題であり、個人が新しいことを始めたり、何かを訴えたりしても、なんの応答も反応も帰ってこないことはしばしばで、折角の可能性が無駄になってしまうことが非常に多い。そして、みんなの沈黙によって訴える内容は予定調和を乱すものであったらしいと判り、イニシャティヴをとった者は罰せられるかのように感じてしまう。予想外のことには、どのように反応していいのかわからないから、イニシャティヴになる最初の反応は、少なくともしないのが安全策なのである。
 アメリカはその反対で、イニシャティヴをとれることこそが評価され、それによる失敗にも寛大である。ポジティヴなことであれば、むしろとにかくそれを始めたということが、大げさくらいに褒められる。フランスでも個人のイニシャティヴは極めて重視されるが、それは格好よくやらねばならないし、それによる失敗に対しては、アメリカほど寛大ではなく、よほどの成果でもださない限り、批判精神に満ち溢れる一言居士だらけの中では、必ずやなにかしらの批判を受けることを覚悟しなくてはならない。グループのなかでの話し合いに関して言えば、アメリカの方が、ありのままにいられる気楽さがある気がした。
 すべてにおいて荒削りなアメリカ社会に住んでみると、日本の社会がいかに強迫的であり、失敗を許さないかがわかる。逆に、日本を傍らにおいてみると、これ以外にもアメリカの特質は確かによく解るとも言える。アメリカとは、原住民以外は、そもそもよそ者によってできている社会である。だから外から来た者に対しては、基本的に寛大である。さらに、ネイティヴ・アメリカンたちのすさまじい犠牲と今も続く差別をよく知っている人たちは、加えて謙虚でもある。大きな志しや理念・理想をもってやって来た者たちは、前例や見本がないから、何事にも試行錯誤でやって来たことが多い。そうゆうところだからこそ、むしろ前例がないからやってみようとする実験精神が育つ土壌ができたのは当然であろう。そうしたことが、1年前にはほとんど無名の若いアフリカ系アメリカ人に、国のリーダーを任せてみようという、他の国では考えられないことを実際に可能にさせたのだ。
 自分の中のアメリカ観の大きな変化は、こうした一連のことがうねりになって、アメリカを訪れた自分を大いに揺り動かし、もたらされたと言っていいだろう。わずか1年余の滞在であったにも拘わらず、人生を3年は過ごした感じがするが、それによって年を取ったというより、少しは自分も成長した気がする。

上の写真は、8月にバークレイで行われた広島・長崎の被爆者の慰霊と核なき世界を願って行われる灯篭流し Japanese Peace Lantern Ceremony の準備会と当日の一コマ。このイベントに参加できたことも、自分のアメリカ観を変容させた。

 しかし、それでもアッという間にその貴重な充実した時は過ぎ、私がいよいよ日本に戻ろうとすると、この滞在中いろいろ世話になり、またプレイ・バック・セアター*を教えてもらった友人(CIISの教員   アルマンド・ヴォルカス)が、さよならパーティーをしてくれた。そこで彼に「Isac (私のこと、アメリカではこう呼ばれていた)は日本のトクヴィルだ**。こちらもいろいろ学んだよ」、という言葉をもらって、びっくり仰天した。もっとちゃんと細かく記録をとっておくべきだったとも思った。しかし、この滞在は感動的なこと興味深いことの連続で、結構覚えている。特にオバマが大統領になるという歴史的出来事に関しては、その当時の熱気とともに伝えた一文があるので、それをここにも載せておきたい。
 以下は、私が所属している応用人間研究科のネットにあるCIIS留学記に番外編として今年1月に投稿したものである。既に時間がたっていて、その後の展開や変化も考慮したいが***、その時の熱気と自分の中の心理的変化の跡もよく現れていると思う。今後の吟味・検討の材料になるだろうし、少なくとも、ちょっとした記念にはなろう。知っている皆には直接話しかけたいという感じだったので、口語体で書かれている。
* PlaybackTheater は希望する当事者に、過去の思いやシーンを、トレーニングされた何人かのアクターが再現してみせることで、癒しや教育に使われる演劇技法で、ドラマセラピーのひとつ。
** Alexis de Tocqueville 19世紀のはじめにアメリカをつぶさに観察して古典的名著『アメリカの民主政治』を書いてフランスの政治思想家で、新時代の先駆者としてのアメリカ社会のよき理解者であり、かつアメリカ型の民主主義のなかに多数派による専制が支配する可能性をすでに危惧してもいた。
*** 多くが改革の第1に挙げていた健康医療保険法案の成立がとてもなく難航したり、最近の陸軍内の乱射事件-- 将校である軍医、精神科医がテキサスの陸軍施設内で乱射、10数人死亡、などというニュースを聞いたりすると、アメリカの問題・課題はあまりに大きく、大統領が変わったからといって、本当のChangeは容易なことではないと、新ためて思わされる。

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